仏南西部ビアリッツ(Biarritz)に二ヵ所あったSilhouetteという名の家屋に因む。名はバスクzil(h)o「穴、窪地」に複数位格語尾-etaが接続して派生。
Mᵉ J. de Silhoète(1404年Biarritz(ピレネー=アトランティック県):牧師)
1
Auger de Silloète de Bas(1498年Biarritz)
1
Peyrot de Silloète Dessus(1498年Biarritz)
1
Estebento de Silhoete, Sansonton de Silhoette de bat(1568年Biarritz)
2
屋号姓。稀姓。仏南西部ピレネー=アトランティック県
ビアリッツ(Biarritz)発祥で、
15世紀初頭当地で初出(上掲参照)。フランスの政治家で財務大臣を務めたエティエンヌ・ド・シルエット(Étienne de Silhouette:1709.7.8 Limoges(オート=ヴィエンヌ県)~1767.1.20
Bry-sur-Marne(ヴァル=ド=マルヌ県))はその一族。影絵のシルエット(silhouette)という言葉も元を辿ればエティエンヌの姓に因む。1759年フランス王ルイ15
世の財務大臣となったエティエンヌ・ド・シルエットは、特に富裕層に対し極端な倹約政策を行った為、不興を買って8ヵ月で失脚した。この事から、
仕事などが拙速で雑な事をフランス語で"à la Silhouette(シルエット氏流に)"と言うようになり、ここから「安物、不完全なもの」の意が発生、更に肖像画に
対して輪郭しか情報の無い不完全な「影絵」という意味が生じたとされている
3, 4。ただ、この説は仮説の一つに過ぎず、
他にも、彼がシルエットを描く事を趣味にしていたからとか
4(仏Wikipediaによると、彼は訪問客のシルエットを描くのを楽しみと
しており、自身の居城Bry-sur-Marneの壁にそれを掛けて飾っていたという
5)、彼の政敵が描線の少ないこの絵にシルエットと
名付けたからとかと言われているが
5、実際の理由は明らかでない。「影絵」の意味は彼の生前の1763年に"portraits à la silhouette
(シルエット式肖像画)"の形で初出で、「不完全なやり方、その場凌ぎ」を意味する慣用句"à la silhouette"は前者から20年近く下る1781年が初出である
6。従って、一番最初に挙げた説も疑わしい。
エティエンヌ・ド・シルエットの父はアルヌー(Arnaud de Silhouette)といい、1704年4月12日、王属のタイユ税
7徴税官吏の
顧問を務めていた人物の娘カトリーヌ=ローズ・ロフェ(Catherine-Rose Roffai(=Roffay))と結婚、エティエンヌとジャンの二児を儲けた
8。1754年11月8日フランス南西部ピレネー=アトランティック県の町
ビアリッツ(Biarritz)にて没
9。
アルヌーは没地と同じビアリッツで生まれたと
仏Wikipediaに
出典付きで見える。この原出典の文献は私自身は未見なので、この情報が正しいのか不明である(Wikipedia日本語版もビアリッツに生まれたとするが、
出典が明示されていないので、恐らく仏語版を参考にしたものだろう)。何故、これを問題にしているかと言うと、アルヌーは
バイヨンヌ(Bayonne:
ピレネー=アトランティック県)で1673年9月23日に生まれたとする文献が存在するからである
10。
アルヌーの父(エティエンヌの祖父)ドミニク(Dominique de Silhouette)は、1672年にソバード・ド・ソバニェ(Saubade de Saubagné)という女性と結婚したと
あるので
11、バイヨンヌ誕生説の方が正しいと考えられる。先の文献によると、ドミニクはバイヨンヌで活躍した商人で、
恐らくはビアリッツで生まれたとしている
12。ドミニクにはマリー(Marie de Silhouette)という名の姉妹がおり、彼女は1643年までには誕生していた事が
知られている
11。その父はペルノートン(Pernauton de Silhouette)と言い、ビアリッツに生まれ、大型海洋船舶の船長を務めた人物で、1640年までにはグラシー・ダラック
(Gracy Darracq、Gracy(=Gracie) D'Arracq、Gracy de Truelle)という女性と結婚している
13, 14。
本姓は元々バスク語を語源としており、バスクzil(h)o,xil(l)o,xilho,zul(h)o「穴、溝、空洞、窪地」
15, 16にバスク語の複数位格形
形成接尾辞-eta
16が接続して生じたzil(h)o-eta「洞叢(ホラムラ)・窪叢(クボムラ)において」がフランス語化したものである。同語源の姓・
地名がスペインのバスク語圏にも見え、スルエタ(Zulueta)、スロエタ(Zuloeta)、スレタ(Zuleta)各姓が存し、スペイン北東部ナバラ州クエンカ・デ・パンプロナ
地区エロルス(Elorz:バスクElortz)村に
スルエタ(Zulueta)の地名がある。仏姓Silhouetteの場合は地名由来ではなく屋号に由来し、ビアリッツに
存在したSilhouette Dessus「上洞叢」とSilhouette de Bas「下洞叢」という名前の二ヵ所存在した家屋に因んでいる
2, 14。両家屋は
バスク語でそれぞれzil(h)oetagarai(バスクgar(r)ai「高い」
17)、zil(h)oetabehere(バスクbehere,behera「低地」
18)とも呼ばれていた。姓の古形にも出現しているDessus、de Basでの呼称は恐らくビアリッツ地区で用いられたこれ等の家屋の
公称とみられる
2。この家屋Silhouette(上と下、両方?)の持ち主は1593年にはマンジュー・ド・ラファルグ(Menjou de Lafargue)と
いう人物が
1、1617年から1669年1月2日にかけてはジャン・ド・イリアール(Joannes de Hiriart、Jehan de Hiriart)という人物で
あった事が分かっている
1, 19。
[Iglesias(2008)p.24, Tibón(1988)p.261, Faure et al.(2009)p.801]
◆バスクzil(h)o,zul(h)o「穴、溝、空洞」←西culo「尻、肛門」←ラcūlus(o語幹男性名詞)「尻、肛門」(伊culo「尻、肛門、底」,シチリアculu「尻、ケツ、幸運」,
仏cul「尻、底、幸運」(>culotte「キュロット、半ズボン」),カタルーニャcul「臀部、尻、肛門、底」,葡cu「尻」,ルーマニアcur「肛門」)←PIE*kū-lo-
(ゼロ階梯+指小辞)←(s)keu-「覆う」
15, 16, 20。
バスク語で本来/k/であったのが/z/に転じている例は、バスクkaramitcha「引っ掻き傷(Kratzwunde)」の方言形zaramika,zaramitcha,çaramitcha、バスクkiskaldu
「キツネ色に焼く、焦がす」の方言形chichkaldu,ziskaldu、バスクkirten「(ナイフ等の)柄、取っ手」の方言形girtain,girtoin,zirtoin等幅広く見られ
21, 22、有声音化と硬口蓋化→直音化が順不同で生じた結果(恐らくこれらの音韻変化が殆ど同時に発生・進行していたのだろう)、
生まれた語形と説明されている
15。
1 Alfred Lassus, Pierre Darrigrand "Biarritz, ses marins et ses corsaires."(1997)p.284
2 Hector Iglesias "Formation des noms de maisons, de quartiers et de lieux-dits recensés."(2008)p.24
3 ロベール仏和大辞典p.2244
4 研究社英語語源辞典p.1281
5 仏Wikipedia、Silhouette (art)項2016年5月5日閲覧
6 http://www.cnrtl.fr/etymologie/silhouette
7 仏Taille:国王が平民から直接徴収した所得税や人頭税に相当する税金。王が地区や教区ごとに税額を設定し、そこから国王役人がその各住民に納税額を
割り振った。
8 Louis-Pierre d' Hozier "Armorial général de la France. vol.2"(1742)p.37
9 http://gw.geneanet.org/pierfit?lang=en&p=arnaud&n=de+silhouette
10 Alfred Lassus, Pierre Darrigrand "Biarritz, ses marins et ses corsaires."(1997)p.286
11 『Villelume伯Guillaumeと
その弟Arnouldの先祖系譜』p.144、2016年5月5日閲覧
12 脚注10の文献p.60
13 脚注11の資料p.204
14 Alfred Lassus, Pierre Darrigrand "Biarritz, ses marins et ses corsaires."(1997)p.285
15 Willem J. Eys "Dictionnaire basque-français."(1873)p.391
16 Maurice Molho, Jean-Claude Chevalier, M.-F. Delport "Mélanges offerts à Maurice Molho: Linguistique."(1987)pp.224f.
17 Willem J. Eys "Dictionnaire basque-français."(1873)p.152
18 ibid. p.55
19 Société des sciences, lettres & arts de Bayonne "Bulletin trimestriel."(1932)p.64
20 英語語源辞典p.306、Pokorny(1959)p.951、Watkins(2000)p.79
21 http://www.forgottenbooks.com/readbook_text/Die_Verwandtschaft_des_Baskischen_mit_den_Berbersprachen_1100076222/63
22 脚注17の文献p.233
更新履歴:
2016年5月6日 初稿アップ