Pawlenty ポーレンティー(ポーランド)
概要
「*Pawlenta(「パヴェウちゃん」の意)の子孫」の意の父称姓。
詳細
父称姓。ポーランド系。アメリカ合衆国の弁護士、政治家ティモシー(ティム)・ジェームズ・ポーレンティー (Timothy(Tim) James Pawlenty:1960.11.27Saint Paul(ミネソタ州)~)の姓として知られる。彼の出身地である ミネソタ州に最も多く分布する。英Wikipediaによると、彼はポーランド系アメリカ人のユージーン・ポーレンティー (Eugene Pawlenty)とドイツ系の妻ヴァージニア(Virginia(旧姓Oldenburg))との間に生まれた1

更に、wikipediaのソースとして挙げる家系サイトを見てみると2、父の本名はEugene Joseph Pawlentyで、ミネソタ州サウス・セント・ポール (South Saint Paul)で1923年3月6日に生まれたとある(2000年に同州Cottage Groveで没)。更に彼の父(ティムの祖父) ジョン・フランク(John Frank Pawlenty)は1888年10月28日に同州セント・ポールに生まれる。更にその父(ティムの曽祖父) ジョゼフ(Joseph Pawlenty)は1857年3月に現在はポーランド領となっているドイツ東部で生まれ、1918年10月22日にミネソタ州 リトル・フォールズ(Little Falls)で亡くなったとある。この人物は、このHPの末尾に引用されている歴史史料(恐らく 国勢調査の様な人口統計に類する調査記録と思われる)の1885年の記録にも現れており、夫Joseph Pawlenty(28才、男性、 ドイツ出身)、妻Mary(25才、女性、ロシア出身)、息子Mike(9ヶ月、ミネソタ出身)とある(息子Mikeはその後の記録に現れない為 、夭逝したと思われる。又、後の記録では夫JosephはJoeの名前で記録されているケースも有る)。

また、ティムの祖父ジョン・フランクの家族の1920年の記録では、ジョン・フランクの両親がいずれもポーランド出身と 記録されており、第一次世界大戦に敗戦したドイツから西プロイセンがポーランドに割譲された事を反映して(ヴェルサイユ 講和条約(1919年))、ジョゼフ・ポーレンティーの出生地がドイツからポーランドに変更されたのだろう。この事から、家系の始祖 ジョゼフの出生地が西プロイセンの何処かである事が判る。又、興味深い事にジョン・フランクの家族は1930年の記録では Polantiという姓で記録されている(ここでもやはりジョン・フランクの両親の出生地がポーランドという事になって いる)。Pawlentyの方が語源的な綴りで、Polentiの綴りは米国における英語読みを文字に置き換えたものと考えられる。

実はPawlentyという姓は、同じ綴りで今でもポーランドに現存する姓で、ポーランドでは「パヴレンティ」と読む。 ポーランド西部のヴィェルコポルスカ県西部に見られる姓で、特にチャルンクフ(Czarnków)、ラヴィチュ(Rawicz) 各郡とポズナニ(Poznań)市に多い3。更に、このPawlentyという綴り自体が本来のポーランド語 綴りではなく、一部ドイツ語式綴りに改変している。本来のポーランド語形はPawlętyで、やはり「パヴレンティ」と読む姓であり 、ヴィェルコポルスカ県西部に分布が偏っている点もPawlenty姓と同じである。更に詳細な分布を見ると、チャルンクフ郡に 分布が集中しており、次いでポズナニ市を囲むポズナニ郡に多い4。この辺りが発祥地では ないかと思われる。

ポーランド語のęは鼻母音の[ɛ̃](フランス語のinの発音と同音) であり、エンと転写できる。Pawlentyの綴りがいつ頃から存在するのか確認できないが、ポンメルンやプロイセンがドイツ圏 であった時期に、先祖がドイツ語式綴りに代えたのかも知れない。ポーランドの鼻母音ę[ɛ̃]は15世紀頃に短い鼻母音ąから 転訛したものであり、その短鼻母音ąも12世紀頃にęとǫという2つの鼻母音が合流して生じた5。 この知識を前提としての話になるが、私がポーランドの地名の古形を調べた限りでは、現ポーランドのę(その起源となった 古い鼻母音を含む)の歴史的な表記方式は、13世紀位までは-en-や-an-と 鼻音nを伴った表記方法が中心であり(この表記法は16世紀まで見られる)、14世紀から尾の付いていない-e-や-a-で表しており (この表記法は18世紀末まで見られる)、尾っぽ付き(オゴネク)のęを用いるのは16世紀からという傾向がある 。よって、Pawlentyという綴りの方が、より古風な綴字を維持している可能性があるが、そこの所は良く判らない。

この姓の語源はいたって単純明快である。男子名パヴェウ(Paweł)に古い指小辞-entaが付随して生じた*Pawlenta6という人名 (恐らく男子名)の単数属格形*Pawlentyに由来しており、「*Pawlenta(「パヴェウちゃん」の意)の子孫」を意味する。 -enta指小辞はスラヴ祖語の指小辞*-ę(語幹*-ęt-:語源不明で、MezgerはPIEの能動分詞形成接尾辞*-nt-との関係は否定している)に 女性名詞形成接尾辞*-a(←PIE*ā←*eH2-)が接続して形成されている。指小辞*-ęはポーランドjagnię(語幹jagnięt-) 「山羊や羊の新生児」(←スラヴ*(j)agnę「子羊」)等、動物などを表わす名詞の要素として良く見られる。 ポーランドでは、Pawełという綴りの男名は1204年に初出であり7、 キリスト教からの借用名としては歴史が古い名前である。この名は、英Paulポールなどと同語源で、ラテン語で「小さい」を 意味するpaulusを語源とするラテン語人名Paulusに由来する。キリスト教初期の信者で、キリスト教の発展に貢献したパウロ の名前である。
◆ラpaul(l)us「小さい」←PIE*pau-ro-lo-(+形容詞形成接尾辞+指小辞)←*pau-「少ない、小さい」(英few「少ない」,ギpaûros「小さい」,paid-,paîs「子供」 ,サンスクリットputra「王子」)8。サンスクリットputraは、ブッダの十大弟子の一人 シャーリプトラ(Śāriputra)の名前の第二要素に見られる。彼の名は漢字音訳で舎利弗(シャリホツ)となり、そのまま我国でも 使用されている。又、ササン朝ペルシアの皇帝の名シャープール(Shāpūr)は「王子」を意味し(第一要素に関しては cf.check,Shah)、第二要素の中期ペルシアpuhr「息子」もこの語根からの発達である。 
1 http://en.wikipedia.org/wiki/Tim_Pawlenty
2 http://www.wargs.com/political/pawlenty.html
3 http://www.moikrewni.pl/mapa/kompletny/pawlenty.html
4 http://www.moikrewni.pl/mapa/kompletny/pawl%25C4%2599ty.html
5 原(2008)p.263
6 Friedrich August Schmidt,Bernhard Friedrich Voight"Neuer Nekrolog Der Deutschen. Siebenundzwanzigster Jahrgang, 1849."第一部(1851)p.48にベネシャウ(Beneschau)出身の司祭(Pfarrer)の名としてPawlentaとある。前後の段に 別の人物としてPaumgartten、Pechsteinの名が見え、姓とファーストネームの両方を表記している訳ではないようだ。 PaumgarttenやPechsteinは明らかに苗字であるので、Pawlentaもここでは苗字と見るべきであるが、かつてPawlentaという 個人名が存在していた事を伺わせる。尚、ベネシャウはチェコの地名(チェコ名Benešov)だが、複数同じ名の土地があり特定不能。
7 渡辺(2005)p.77
8 英語語源辞典p.1040、Watkins(2000)p.62、Pokorny(1959)p.842

更新履歴:
2011年5月29日  初稿アップ
2014年12月18日  一部加筆・修正
PIE語根Paw-l-ent-y: 1.*pau-「少ない、小さい」; 2.*-lo-指小接尾辞; 3.語源不明;4.語根未調査

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