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Mondriaan モンドリアーン(蘭)
概要
古フランス語で「王の山」を意味するドイツ西部の地名モンレアル(Monreal)に由来。語尾の-anは与格語尾。
詳細
Emelricus miles de Munrean(1272年Trier)1
Karrolus miles de Monrian(1275年)2
Wernere eyme Ryttere van Monrean(1329年Trier付近(?):騎士)3
Karle van Mondriaen(1356年Leuven(ベルギー中部))4
Clemens van Monriaen(1532年Kleve(ノルトライン=ヴェストファーレン州):年金生活者(Rentmeister))5
Christiaan Dirckse Mondriaan(1660年Den Haag:兵士)6
Nicolas Monreal(1722年)7
Matthias Monreal(1750年Steenwijk(オーファーアイセル州))7

地名姓。この姓はモントリオールと同語源である。オランダの画家ピエト・モンドリアン(Piet Mondrian)の出生時の姓で、 彼の本名はピーテル・コルネリス・モンドリアーン(Pieter Cornelis Mondriaan)という。Mondriaan姓はオランダでもかなり珍しい姓で、同国南部にまばらに散在する。特定の集住地は無い。1947年の 統計記録では、オランダ全国のMondriaanさん54人の内、ハーグ(Den Haag)に19人、アムステルダムに12人記録されている。

画家に話を戻す。彼は1872年5月7日、同国のほぼ中部に存在するユトレヒト州北部の町アメルスフォールト(Amersfoort)にて、同姓同名の父 (Pieter Cornelis Mondriaan:1839.6.18~1915)と母ヨハナ・クリスティーナ(Johanna Christina(旧姓de Kok))の第二子(長男)として生まれた。 父はハーグの生まれである。アメルスフォールトのプロテスタント系小学校の校長も務めた人物であった。父の父(画家の祖父)の名は ウィレム・フレデリック(Willem Frederik Mondriaan)といい、1809年にハーグで生まれ1878年に没した8, 9。職業は床屋、香水職人。 ウィレム・フレデリックの父ヘリット・ヤンセ(Gerrit(Gerhard) Janse Mondriaan)は1783年ハーグ近郊のGravenhageで生まれ、床屋・カツラ職人 であった。更にJohannes Gerritse Mondriaan(1759 Gravenhage~1794 Gravenhage)→Gerrit Willemse Mondriaan(1725 Gravenhage~1759 Gravenhage) →Willem Mondriaan(1702 Gravenhage~1749 Gravenhage)→Willem Christiaans Mondriaan(1677 出生地不明~1761 Gravenhage)→ Christiaan Dirckse Mondriaan(生年不詳~1697年以降)という風に先祖を遡れる10。Christiaan Dirckse Mondriaanが遡りうる最古の先祖で、 出生年生誕地は共に不明だが、1630年には生存していた事が確認されている。

デブラバンデルによれば、フランス各地にあるモンレアル(Montréal)という地名に由来するとしている。更に、この地名はラテン語で「王の山」を 意味するMons Regalisに遡るとする。然し、MontréalとMondriaanとでは語形が違いすぎており(特に語尾の-lと-nの違い)、胡散臭く感じられる。 所が詳しく調べてみた所、この説明は半分当たっているが、半分は間違っていることが判った。「王の山」を意味する地名に由来するのは正しいが、 実は由来もとの地名はフランスのものではなく、ドイツのラインラント=プファルツ州北部マイエン=コブレンツ(Mayen-Koblenz)郡フォアデアアイフェル (Vordereifel)行政共同体内のモンレアル(Monreal)村の名である。以下に地名の歴史上の変遷を列挙する。

Monroial(1229年)11, 12
Munreial/Munriyol(1238年)13, 14
iuxta Monrealh(1242年)15, 16
apud Munreal(1245年)17
Monreal(1259年)18
apud Monreayl(1290年)19
et dominio de Munrian(1295年)20
Munriyol(1328年)21
Theodericus de Monreyal(1346年:人名)22
Monriane(1357年)21
Munryan(1358年)21
Munreoyllen(1363年)21
Monrion/Monrean(1364年)21
Monriaele(1413年)23
Monreal(1546年)24

実は地名の初出は1229年ではない。本当の初出はCunisberch(1193年)25である。Cunisberchという名は 、中高独kunec「王」26の属格形と中高独bërc「山、丘」27の合成語で、「王の山」を意味している。 これを、それぞれ古仏réal,rial,royal「王の」28と古仏mont「丘」29でフランス語に 翻訳した形から、現在の名前に至ったのである。13世紀初頭にモンレアルより北西10㎞程にあるヴィルネブルク (Virneburg)という城(レースサーキットで有名なニュルブルクリング(Nürburgring)の東10㎞程に存在する)を本拠地としていたヴィルネブルク伯が、 当地にも触手を伸ばし勢力下に置いた。この当時、本来のドイツ語地名をフランス語に翻訳して使用する事が流行っており 30、この地名もその洗礼を受けた訳である。1220年にはヴィルネブルク伯ヘルマン3世がモンレアルに城を建設し、 今も城址が残っている31

上掲の地名古形のうち、後半のものは更に調べてみたところ地名姓の用例も含まれている事が判明した。以下に列挙する。
Karll ... van Munreoyllen(1363年4月28日:騎士)32
Karolum de Monrean(1364年6月25日:兵士(milites))33
両記録とも同一人物のもので、姓の古形欄に挙げた1356年のベルギーにおける記録の人物も同じ人であろう。この人物はベルギーやオランダとの 関係があったらしい。詳しいことは良く判らないけれど、1363年の記事ではこの人物が"Gerarde rentmeister zu Treight"という人に40フローリン (florin:オランダの貨幣単位)の地代を支払ったという。Treightというのは、現在のオランダの大都市マーストリヒト(Maastricht)の古名である 34。確実な証拠は見つけられないが、多分ドイツのモンレアル出身の騎士が、ベルギーかオランダの地に移住してきた のかもしれない。

語尾に-l-と-n-両方を持つ1363年の記録Munreoyllenは大変興味深い綴りである。この綴りが語尾のlとnの入れ替わりの謎を解く 糸口を与えてくれる。この語尾と関連して、もう一つ重要なヒントがこの記録に存在する。それは前置詞のvanである。 前置詞vanは与格形の名詞を受ける為、Munreoyllenの語尾-enの正体は複数与格語尾である事が判る。そして、その前に存在している -l-が後に消失し、与格語尾の-(e)nだけが残り、更に後にそれが-anの形で苗字に名残を留めたのであろう。それでは-l-が消失した 理由はどう説明出来るだろうか。これはあまりうまい説明が思いつかなかった。最初はdark-lによって、lが奥舌母音に 転じて消失したのかと思ったが、上記の古い綴りを見る限りではその様な痕跡は見当たらない。現段階では、良く判らないとしか言いようが無い。

また、「山」と「王の」を意味する両要素の境目に-d-が出現している原因もここで説明したい。これは、私の考えでは非語源的な添加音で、残念ながら古仏mont「丘」の 語末子音-tからの発達ではないと思う。そもそも、上記の如く13~14世紀までの地名の古形に一度も-t-なり-d-が現れていない事から、montの -tではないことは明白だろう。この-d-は、-n-と-r-という相性が悪く発音しづらい子音連続を発音しやすくする為の渡り音(glide)だと思う。 同様の例はハインリヒ(Heinrich)から派生したヘンドリック(Hendrik)にもみられる(cf.アンダーソン(Anderson))。

という訳で、音韻上の問題はある程度解決できる。元となった地名とは違い、苗字では与格由来の語尾-nが定着したのは、長らくこの姓がオランダで 前置詞vanを伴っていた事によるものだろう。モンドリアンとは、正確さを持するなら「王の山へ」を意味するということになる。因みに、余談になるが カナダはケベック州の大都市モントリオール(Montreal)もフランス語で「王の山」の意で、モンドリアン姓と同語源である。
[Debrabandere(2010)p.240]
1 Denis de Sainte-Marthe "Gallia christiana in provincia ecclesiasticas distributa. vol.13"(1785)p.15
2 Wilhelm Arnold Günther "Codex diplomaticus Rheno-Mosellanus. vol.2(1350-1400)"(1823)p.402
3 Ludwig franz Hoefer "Auswahl der ältesten Urkunden deutscher Sprache im Königl. geheimen Staats- und Kabinets-archiv zu Berlin."(1835)p.225
4 Instituut voor Naamkunde te Leuven "Naamkunde. vol.24"(1991)p.203
5 Reinhard Karrenbrock "Dries Holthuys: ein Meister des Mittelalters aus Kleve."(2002)p.245
6 http://www.meertens.knaw.nl/nfb/detail_naam.php?gba_naam=Mondria&nfd_naam=Mondria&info=documentatie& operator=eq&taal=
7 http://www.naamkunde.net/wp-content/uploads/2010/01/WZF-Debrabandere.pdf
8 http://www.biografischwoordenboekgelderland.nl/bio/3_Pieter_Cornelis_Mondriaan_senior
9 http://www.geni.com/people/Willem-Frederik-Mondriaan/6000000013461853507
10 http://genealogy.henny-savenije.pe.kr/tng/getperson.php?personID=I191000&tree=savenije
11 Landesarchivverwaltung Rheinland-Pfalz "Jahrbuch für westdeutsche Landesgeschichte. vol.25"(1999)p.121
12 Leopold Eltester, Adam Goerz "Urkundenbuch zur geschichte der: jetzt die preussischen Regierungsbezirke Coblenz und Trier bildenden mittelrheinischen Territorien. vol.3(1212-1260)"(1874)p.304
13 Adam Goerz "Mittelrheinische Regesten oder chronologische Zusammenstellung des Quellen-Materials für die Geschichte der Territorien. vol.3(1237-1273)"(1881)p.19
14 前掲脚注12の文献p.483f.
15 前掲脚注13の文献p.61
16 前掲脚注12の文献p.529
17 前掲脚注2の文献p.208
18 前掲脚注13の文献p.355
19 前掲脚注2の文献p.477
20 Theodor Joseph Lacomblet "Urkundenbuch für die Geschichte des Niederrheins oder des Erzstifts Cöln. vol.1"(1840)p.566
21 Joseph Cuvelier "La formation de la ville de Louvain, des origines à la fin du XIV(e) siècle."(1935)p.99
22 Karl Menzel, Wilhelm Sauer "Codex diplomaticus Nassoicus. vol.1 part. 3"(1887)p.235
23 Klaus Militzer "Kölner Geistliche im Mittelalter: Männer."(2003)p.748
24 "Rheinische Geschichtsblätter. vol.5"(1902)p.370
25 Adam Goerz "Mittelrheinische Regesten oder chronologische Zusammenstellung des Quellen-Materials für die Geschichte der Territorien. vol.2(1153-1236)"(1974)p.193
26 Buck(1949)p.1321
27 Lexer vol.1(1872)sp.184
28 Godefroy(1880-1902)vol.7 p.223
29 Godefroy(1880-1902)vol.5 p.395
30 http://de.wikipedia.org/wiki/Monreal
31 ヴィルネブルクとの関係は以下の文でも判る。コブレンツの国家アーキヴィスト・トリーア補佐司教ギュンター(Wilhelm Arnold Günther)が 編纂したライン=モーゼル地方の古文書集で見つけた。とても完璧には訳せないので、以下に原文を挙げるだけにしておく。
"Frauwen Marien van Cleue Frauwen zu Monreal reden an vnsern Hern Hern Baldewine Ertzebischoue zu Trere . as vm de Loesonge der Palenzen de eme verlacht was van Hern Henriche selegen van Virinborch vnd Frauwen Marien vurgen."(1353年)
Virinborchがヴィルネブルクのこと。他にも、クレーフェやトリーアといった地名が見える。
32 Alphonse Verkooren "Inventaire des chartes et cartulaires des duchés de Brabant: et de Limbourg et des pays d'Outre-Meuse."(1912)p.38
33 Theodor Joseph Lacomblet "Urkundenbuch für die Geschichte des Niederrheins oder des Erzstifts Cöln. vol.3"(1853)p.553
34 余談だが、マーストリヒトという地名は「マース川の渡し場」の意。古名は専ら「渡し場」を意味する後半要素 のみで文献に現れる。英traject「渡し場、通行」,伊tragitto「道のり、通過、《古語》渡し場」と同語源で、ラテン語に由来する。即ち、原義は「向こうへ投げること」で、マーストリヒトの 後半要素-trichtの-tri-は英through「~を通して」と同根であることが判る。

執筆記録:
2011年11月13日  初稿アップ
PIE語根Mond-ri-a-an:1.*men-2「突出する」;2.*reg-「真っ直ぐ動かす、導く」; 3.*-lo- 形容詞・名詞形成接尾辞、指小辞;4.*-om 向格語尾

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