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†Melanchthon メランヒトン(独)(録:†シュヴァルツェルト(Schwartzer(d)t))
概要
古いドイツ人男子名Swarzhart(「黒い」+「強い」の意)から生じた初期新高独swarczerdtという父称姓の後半を、中高独ërde「大地」と誤解。 ギリシア語のmélās「黒い」(語幹melan-)とkhthṓn「大地」に誤訳して作り出された。
詳細
筆名。廃用。かの有名な宗教改革者フィリップ・メランヒトン (1497.2.16 Bretten(バーデン=ヴュルテンベルク州)~1560.4.19 Wittenberg(ザクセン=アンハルト州))の姓だが、彼の本名は当時の 記録ではPhilippus swarczerdt de bretten(1524年)1等と表記されている様に、本姓はswarczerdtと言った。 様々な文献やネット資料で、メランヒトンの本姓をシュヴァルツェルト(Schwartzer(d)t, Schwartzerd)としているのは、古いswarczerdtを 現代語形に再現した綴りである。現代語再現形は全部でSchwar(t)zert(h)、Schwar(t)zerd(t)という8通りの綴りが考えられるが、現在のドイツ語 圏には近い綴りも含めてこの姓は存在が確認出来ない。同様に、Melanchthon姓も今のドイツには残っていない。

メランヒトンという名前は、本姓swarczerdtを中高独swarz「黒い、暗い色の」2(>独schwarz)と中高独ërde,erde「大地」3 (>独Erde)から構成されていると分析し、ギmélās(語幹melan-)(μέλᾱς)「黒い、暗い」4(cf.英melancholy「憂鬱」)と ギkhthṓn(χθών)「地面、大地、世界、土地」5(cf.英chameleon「カメレオン」,camomile「カモミール」)としてギリシア語に 翻訳して新しく創り出した名前である。この改姓は、彼の母方の祖母の弟であるギリシア語・ヘブライ語学者、人文主義者のヨハン・ロイヒリーン (Johann Reuchlin:1455~1522)の提案による6。当時のイタリアを中心とする欧州は、ルネサンス時代の真っ只中で、 ルネサンス(「再生」が原義)の名が示す様に古典ギリシア・ローマの文化の復古主義が席巻していた。こうして、ドイツでも人文主義者の様な一部の 知識階級の人達が、自分の苗字をギリシア語やラテン語に翻訳する事がもてはやされた7。メランヒトンという姓は この様な時代背景から生み出されたのである。

所が、ドイツ姓→古典語姓への翻訳の際に、元のドイツ姓の語源を知らないが故に誤訳して改姓してしまうケースが生じた。この様な例はそれ程多くは ないのだが、メランヒトンの場合も実は誤解から生じている(他の古典語翻訳姓ではアルゲランダー(Argelander)も誤解から生じている)。swarczerdtと いう古姓の後半要素が「大地」を意味するërdeとするが、第二要素にërdeがくる地名・人名というのはドイツ語では他に例が無い 8。この傾向は、同じゲルマン系の英語でも見られる(理由は私にも判らないが、何か原因があるのではないかと思う)。 ドイツ人の苗字を長年調べてきた経験から言うと、swarczerdtを「黒い」+「大地」とする分析は、極めて不自然に感じさせられる。ドイツの苗字研究家の リナルツ(Kaspar Linnartz)も、最後尾の-t(-dtは閉音節末尾の-tを表す為の古い異綴)を-deにして、後半要素を-erde「大地」に再構築するのは 滅茶苦茶だ(unorganisch)と言っており、メランヒトンへの改姓は誤解(Verkennung)だと指摘している9。これは至極 真っ当で、当然浮かんでくるべき見解である(然し、残念ながら国内だけでなく海外の文献やネットでも、彼の本姓の語源を「黒い大地」として しまっているものが幅を利かせてしまっている)。前半要素が中高独swarz「黒い」であるのは明白だが、では後半要素-erdtの正体は何であろうか。

これに対するまともな見解は、既に19世紀末にゼル(Karl Sell)という人物が著したメランヒトンの伝記の中で述べられている。以下に該当部分の訳を 掲載する10
"フィリップ・シュヴァルツェルト(Philipp Schwarzerd(姓はSchwartzerd、Swartzerdとも))はヴュルテンベルクの国境に近い小都市ブレッテン (Bretten)、現バービッシュ(Babisch)に1497年2月16日に誕生した。この家族名は今日シュヴァルツァート(Schwarzert)と綴られているが、 ブライダート(Breidert)、ガンツァート(Ganzert)、グラウアート(Grauert)、リュッカート(Rückert)、ヴァイタート(Weitert)等の姓と同様の 構造を持ち、何らかの前半要素、或いは特定の語に"wart"もしくは"hart"という語が接続して形成されている。彼は、ゲオルク・シュヴァルツェルト (Georg Schwarzerd)とバルバラ・ロイター(Barbara Reuter)の最初の子であった。"

ゼルの指摘は、ドイツ人の苗字形成の癖をよく理解していないと出来ない。特に、この姓の場合はhartに由来していると見るべきである。古高独hart 「堅い、厳しい、固体の、荒い、硬直した、強い、激しい、鋭い、辛い」11,中高独hart,hert(e)「堅い、固体の、粗い、 荒い、混雑した、濃密な、重苦しい」11は、男子名の第二要素として昔から連綿と高頻度で使い続けられてきた。 つまり、古高独swarz「黒い、暗い色の」12と古高独hart「強い、堅い、激しい」の2要素から構成される男子名 スワルツハルト(Swarzhart)に由来する父称姓と考えるのである。この男名は、ザンクト=ガレン(Sankt Gallen:スイス北東部)修道院に所蔵されている 、ヘクスト(Höchst(墺、フォーア=アルルベルク州西部))という町の住民の財産目録(恐らく1300年頃)に現れている。該当部分を引用しておく(太字の強調は 引用者マルピコスによる)13

"Růdolf Liutburge sun 8 den.; de Zimbirmannine 9; Gebeli von Brugge 8; Hainrich dir Walhinne sun 9; Swarzhart 15; dir Sniz 1 sol.; Gůtun brůdir 18 den.; dir Karrer 6 phen.; diz Telvers hofstat 4 den.; Cůnrad in din Studon 5 den.; Cůnrad dir Sutir 4 den.; Ůlrich undir din Aichon 1 sol.; herre Ůlrich von Muli 4 den.; de Verrine 6 den.; diz Heldis stiufsune 8 den.; Marchwart undir din Aichin 1 sol.; dir Rote undir din Aichin 9 den.; Mouzin hůbe 18 den.; Wizzin hůbe 18; ..."

この文章に登場する人名はファーストネームだけか渾名だけで表記されている場合もあれば、両方で表記されている場合もあり実に面白い。 問題のスワルツハルトは前置詞も冠詞も、その他の修飾語彙も一切添付されていないことから、ファーストネームである事が容易に判断がつく。 同ページの直前部分でも、同一人物が他にSwarzhartの綴りで一例、Swarzheratの綴りで一例見える。後者の綴りは大変興味深い。-hartの発音が 弱化して-hertに移行している途中の段階を示すものと思う。この少し前の段落でも、似た様な組み合わせのGebheratisとGebhartis(属格形)の人名が 見える14。swarz「黒い」が男子名の要素に使われるというのは、今のドイツ語からすると奇異に感じられるかもしれない。 だが他にも、この要素を第一要素に採る古いドイツ人男名は数は少ないものの存在し、フェルステマン(Ernst Wilhelm Förstemann)の古ドイツ語の 個人名辞典にはスワルツラハ(Suarzlah)、スワルツマン(Swarzman)、スワルツォルフ(Suarzolf)等の名を挙げている15 (フェルステマンはSwarzhartは採録していない)。他に、Swarzger de Burna(1185年Meissen(ザクセン州))16と いう人物のファーストネームSwarzgerの様な例もある(この男子名もフェルステマンに見えず)。

或いは、swarczerdt姓は「黒太郎、真っ黒くろ助、黒んぼ」の様な意味を持つ渾名に由来する可能性もある。既に述べたように、古高独hart「強い」を第二要素に持つゲルマン人の 男子名はおびただしい数存在した。ここから、日本語で例えるなら、「~丸」「~太郎」「~助」の様なニュアンスを持つ渾名や動作主派生名詞を形成する 接尾辞に発達した。hartから生じたこの様な経緯を持つ語は一般の語彙にも入り込み、英bastard「庶子」,coward「臆病者」,niggard「守銭奴」,wizard 「賢人(「魔法使い」は後の語義)」,独Bankert「庶子」等がある。以上の如く、「黒い+強い」を意味する男子名に由来するか、「黒んぼ」を意味する 渾名に由来するかのどちらかであろう。こう考えるほうがより自然で、古い綴りswarczerdtとの矛盾もなく説得力がある。一応、文証の点から 判断すれば、男子名Swarzhart(原義:「黒い」+「強い」)由来説を採用するのが適当だろう。これの後半要素を「大地」と誤解して、ギリシア語に 誤訳された苗字がメランヒトンである、というのが真相である。cf.マリノフスキー(Malinowski①)、 モンゴメリ(Montgomery)、シュムーデ(Schmude②)、ボナム(Bonham①)、アダム(Adam)
[Karl Sell "Philipp Melanchthon Der Lehrmeister Des Protestantischen Deutschland."(1897)p.5,Linnartz(1936)p.10]
◆ギmélās「暗い、黒い」←*mélanos←PIE*melə-no-(+形容詞形成接尾辞)←*mel(ə)-「暗い色の」(ゴートmēla≪複数主格≫「文字」,ラトヴィアmelns 「黒い」,露malína「キイチゴ」,サンスクリットmlā-na-「黒い、黒ずんだ」,アルバニアmelenë「楡」)16。*mélanosから語幹母音(テーマ母音)が脱落し、 *mélansとなり、更にnが脱落して代償延長を起こした(但し、語幹母音の脱落の理由は良く判らない)。mélāsの語形から、語根末尾の喉音は H2と再建されるが、語根に喉音を伴わない*mel-を想定する識者もいる(Watkins等)。
◆ギkhthṓn「大地」←PIE*dʰéǵʰ-ōm≪単数主格形≫「大地」(ラhumus「大地」,古アイルランドdú(属格don)「場所」,古英guma「男」,リトアニアžemė 「大地、土地」,露zemljá「大地、土地、地面」,サンスクリットkṣā́(属格jmáḥ)「大地」,ペルシアzamin「大地、土地、地面」(cf.ペルシアZamindār 「土地所有者」→ザミンダーリー制),アルバニアdhe「大地」,ヒッタイトtēkan(te-e-kán)(属格taknas(ták-na-a-aš))「大地」,トカラA tkaṃ 「大地」)17。アルメニア語(派)以外の全ての印欧諸語派に対応がある。PIE*dʰéǵʰ-ōm(-ōmは接尾辞)はamphikineticという屈折形式をとる名詞で、 弱格形(具、与、属、奪、処格)はゼロ階梯の語幹にアクセントを持つ屈折語尾が後続する。以下私の考えでは、ギリシア語のkhthṓnという単数主格形は、 *dʰéǵʰ-ōmの弱格形(例えば、単数属格形*(dʰ)ǵʰ-m-és)がパラダイム全体に波及した結果生まれたものだと思う。但し、ギリシア語における 後半要素の-onは他の格にも現れており、こちらは印欧祖語形の強格形(主、呼、体格)の影響だろう。つまり、khthṓnの前半khth-は祖語の弱格形から、後半-ṓnは 祖語の強格形に由来するというキメラみたいな語ということになる。多分、パラダイム内の屈折の不規則性を均一化する力が働いて、この様な語形に 落ち着いたのではないかと考えられる。次に祖語の語頭の子音クラスター*dʰǵʰ-がギリシア語でkhth-と、歯茎閉鎖音(以下、Tと略す)と軟口蓋閉鎖音 (同様にK)が音位転換している点について。この疑問については、吉田和彦著『比較言語学の視点』(2005)p.129の註167に指摘がある。それによると、 祖語のTKはギリシア語で規則的にKTに転じたとのこと。実例も挙げられている。PIE*tek-「産む」(cf.独Degenhart(男名))を含むギリシア語の名詞 téknon「子供」に対し、語根の重複形(reduplicated form)に由来するギリシア語の動詞tíktein「産む」(<*tí-tk-ein)では音位転換が起きている。
1 Karl Kehrbach "Monumenta Germaniae paedagogica. vol.7"(1889)p.28 或いは、Philippus swarczerdt brettanusの綴りも 同書に見える。
2 Lexer vol.2(1876)sp.1343
3 Lexer vol.1(1872)sp.620
4 http://en.wiktionary.org/wiki/%CE%BC%CE%AD%CE%BB%CE%B1%CF%82#Ancient_Greek、Buck(1949)p.1055
5 http://en.wiktionary.org/wiki/%CF%87%CE%B8%CF%8E%CE%BD#Ancient_Greek、Buck(1949)p.16
6 Richard, James William "Philip Melanchthon: The Protestant Preceptor of Germany."(1898)p.11
7 他にも、グロピウス(Gropius)やメビウス(Möbius)といった-iusを語尾に採る擬ラテン語形の姓や、アグリコラ(Agricola)やザルトリウス (Sartorius)といったラテン語翻訳姓、ネアンダー(Neander:ネアンデルタール(Neandertal)人の第一要素はこの家族名に由来)やドリュアンダー (Dryander)といったギリシア語翻訳姓がこの例に含まれる。
8 但し、ドイツ姓Erdbrink、Erdsieck、Erdbergの様に第一要素に現れる場合は存在する。地名でも、Erdbach、Erdhausen、Erdweg等第一要素に 現れるケースは、数は少ないが確認できる(ただ、古形を調べていないので、本当の語源は違う可能性がある)。人名としては、Erdmann、Erdolf、 Erdberaht等、第一要素に現れるケースは、それなりに見られる。また、低地ドイツ語圏では、前置詞や冠詞を伴ったvan der Eerde、Babendererde 等の姓が確認できる。
9 Linnartz(1936)p.10
10 Karl Sell "Philipp Melanchthon Der Lehrmeister Des Protestantischen Deutschland."(1897)p.5
11 Köbler ahdW H項p.30
12 Köbler ahdW S項p.275
13 Hermann Wartmann "Urkundenbuch der Abtei Sanct Gallen. vol.3"(1882)p.771
14 ibid. p.770
15 Förstemann(1966)sp.1134f.
16 Harald Schieckel "Herrschaftsbereich und Ministerialität der Markgrafen von Meissen im 12. und 13. Jahrhundert."(1956)p.63
16 Watkins(2000)p.53、Pokorny(1959)p.720-721、Buck(1949)p.1055
17 http://en.wiktionary.org/wiki/Appendix:Proto-Indo-European/d%CA%B0%C3%A9%C7%B5%CA%B0%C5%8Dm、吉田(2005)p.127-129、 Watkins(2000)p.20、Pokorny(1959)p.414、Buck(1949)p.16

執筆記録:
2011年12月8日  初稿アップ
PIE語根Mela-n-chthon:1.*mel(ə)-「暗い色の」;2.*-no- 形容詞・名詞形成接尾辞;3.*dʰéǵʰ-ōm「大地」

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