Joh'e de Mackeſwel(1144年Roxburgh(スコティッシュ・ボーダーズ))
1, 2
=
Joh'e de Maccuſwel(1198-1214年Roxburgh)
3=
Joħe de Maxwel(1207年Sprouston(スコティッシュ・ボーダーズRoxburgh))
4
=
Joħe de Macch'weɫɫ(1207年Sprouston)
5=
Joħe de Machuſwel(1207年Sprouston)
6
=
Joħe de maccuſweɫɫ fiɫ herb'ti vicecom~(1210年Redden(スコティッシュ・ボーダーズSprouston))
7=
Herb'ti de Maccuſwel(1165-1214年Maxwell(スコティッシュ・ボーダーズMelrose))
8
=
Herbert' de Mach'weɫɫ(1189-98年Roxburgh)
9
Rob'to filio Herb'ti de Machuſweɫ (1190年Molle(スコティッシュ・ボーダーズRoxburgh))
10
Johanne de Maccuſwell(1233年Rutherglen(サウス・ラナークシャー))
11
Aymerum de Makeswell'(1255年Roxburgh)
12
=
Eymerio de Maxwell'(1260年Inverness(ハイランド地方))
13
=
Eymero de Mackisuuell'(1262年Peebles(スコティッシュ・ボーダーズ))
14
[上掲1144年の姓の初出(地名の初出でもある)]
[上掲1165-1214年Maxwellにおける記録]
地名姓。スコットランド南部からイングランド北部にかけて多く、特にスコットランド南西部のダンフリーズ&ギャロウェイに集住。イギリスの
理論物理学者ジェームズ・クラーク・マクスウェル(マックスウェル)(James Clerk Maxwell:1831.6.13 Edinburgh(スコットランド)~
1879.11.5 Cambridge(ケンブリッジシャー))の姓。英国北部スコットランド南部スコティッシュ・ボーダーズ東部の町ケルソー(Kelso)市街地
南部の小地名
マクスウェル(Maxwell)に由来。地名の古形は以下の通り(姓の古形も参照のこと)。尚、
スコットランド南西部のダンフリーズ&ギャロウェイのダンフリーズ(Dumfries)市街地西部にある小地名
マクスウェルタウン(Maxwelltown)は姓に
由来しており、発祥地ではない。
Maccusville(1159年)
15
i t'ritorio de
Maccuſwel ... eccɫia de
Macc'wel(1180年)
16
Maxwell(1200年頃)
15
Makyswell'(1255年)
17
ad molendinũ de
Maxwel p' bladũ đni de
Maxwell(1354年)
18
Maxweille(1354年)
15
地名の原義は「Maccus(人名)の泉・小川」
19。第二要素は古英well,wæll「泉、小川」
20。
第一要素は人名で、スコットランド王
デイヴィッド1世(David I:
在位1124~1153年)の従者マックス(Maccus)に由来する。この人物は1116年の『デイヴィッド調書(Inquisitio Davidis)』に公証人として
現われており、
Maccus filius Undweyn21とある(下掲写真参照)。当地はこの人物が建設した集落である
22。
[『デイヴィッド調書(Inquisitio Davidis)』(1116年)の問題部分]
彼はサクソン人の貴族で(地元の名士であったとする意見もある
23)、デイヴィッド一世から
トゥイード河畔の土地を下賜されていた
24。上掲の『調書』に挙げられているデイヴィッドの家臣群の内、Hugo de Morvilla以下の人物は名前から
判断するとその殆どがノルマン系である。それよりも前に挙げられている臣下の名は古期英語系(Alden, Osolf, Eadiue, U(h)ctred, Alstan等)やゲール語系
(Cospatric等)のものが見えるが、何語なのか良く解らない名も混じっている。実はここで問題となっているMaccus filius Undweyn
というデイヴィッド1世の家臣の名も、何語なのか良く解らない。
マックス(Maccus)という奇妙な名前の特徴は、その最初期の記録がゲール人、ノルド人、アングロ=サクソン人が密に繋がっていた折衝地帯
、
ノーサンバーランドで現われる事である
25。
そしてMaccusという男名の語源はラテン語の男子名マグヌス(Magnus:←ラmagnus「大きい」)であると言われてきた。この説の出所や提唱者が
誰なのかは良く解らないが、アイルランドの古い歴史を記した
『四君主年代記(Annals of the Four Masters)』(原本はゲール語で書かれている)の972年の項に現れるMaghnus mac Arailtという
王名が根拠に挙げられている。と言うのも、この王の名がMaccusと表記されている例もある為に、両名が通用関係にあると見なされ、その為に
MaccusはMagnusが語源と解釈されたものらしい。実は、MaccusとMagnusの通用例はこの人物における1例のみであり、他には知られていない。
しかもこの唯一の通用例も中世史家・人名学者の
デイヴィッド・ソーントン(David E. Thornton)博士によって喝破され切り崩された。博士の書いた論文
"Hey Mac! The name Maccus, Tenth to Fifteenth Centuries."(1997年、"Nomina"誌20号、pp.67-94)によると、アイルランド語学者の
オドノヴァン(John O'Donovan)による
『四君主年代記』の初めての英語全訳版(全6巻、1846–1851年)によって、この王名がMaghnus mac Arailtの綴りでローマ字アルファベットで
起こされたものが現在流布しているが、問題はオドノヴァンは後代の写本しか参照しておらず、オリジナルの原本ではmac「息子」の一般的な略形である
mcの上にラインが引かれた形を伴ったmccȜという略記で現れているというのである。Ȝは中世古文書学では良く知られた字母であるが、
この場合は文字列usの略であった。即ちmccȜはMaccusの略に他ならず、Mag(h)nus等とは書かれていないのである。
更に奇妙な事に、この名前の後半部分の-usはラテン語の男性名詞語尾の-usとは別物である事である。例えば、ラテン語で書かれた史料ではfilio Maccus「Maccusの息子」
(属格)とか、Macus preposito「Macus長官を」(対格:prepositoはラpraepositus「長官」の対格だが、同格のMacusは格活用していない)とか、
a Maccus「Maccusによって」(対格)等、格変化による語尾活用が一切行われていない。更にこれにラテン語の第二変化名詞の活用語尾を接続した適切な
語形も記録にある:Macusus、Mauccuso、Maccosi。古期英語の文章中では与格形のMaccosseも現れている。つまりMaccusという
男名の-usの部分は語尾ではなく、語幹(格変化により変化しない部分)の一部なのである(いずれの指摘もソーントンの論文による)。
こうして見ると、如何にこの名前がヘンテコか良く解ると思う。Magnusと関係が有る筈が無いのである。
一方、MaccusはMagnusのノルド語における異形とする説もある。これに関してはソーントンは次に様に指摘する。
"最初にまずMagnúsからMaccusに発達するというシナリオは、音声学的には困難を伴っている。又、Maccusという名前と対応し得る
古ノルド語の名はMákr(Makkr)なのだが、これが極めて稀にしか現れない。その上、Magnúsという名はノルド語では大陸のスカンジナヴィア人王家で
11世紀に使われるまで、記録に無いのである。"
25
ソーントンの研究を受けて、英国の中世史家
アレックス・ウルフ
(Alex Woolf)は次のように言っている。
"スコットランドとイングランドの国境地帯には、LongformaccusやMaxton、Maxwell
等、Maccusという人名を保持した地名が見られる。この名前が最初、何語で生じたものなのかは明らかでない。だが、しばしば言われているような、
Magnusのスカンジナヴィア人による語形ではないのは確かである。"
26
いずれにしても、Maccusという人名の起源に関する解釈は決着が付いておらず、その語源は杳として知られない。マックスの父親の名前Undweynも
ここでしか用例が見られない珍しいもので、由来も良く解らない。古英の男名*Hundwine
27かUnwinus
28の異形ではないかと思ったが、語形に隔たりが有りすぎるので無関係だろう。ゲール語起源かも知れないが、
その候補は私には解らない。又、Maccusは991年の
モルドンの戦い(Battle of Maldon:イングランド南東エセックス州)に参戦したアングロ・サクソン
側の武将の名として現れている
29。この戦いを取り扱った古期英語の詩が残っており、その中にこの人名が見え、
Wulfstan、Aelfereという武将と共に並び称されている。同じ段落にWulfstanの父としてCeolaの名も見える。Wulfstan、Aelfere、Ceolaの三つは
古期英語の名であるが、その中に混じってMaccusの名が登場しているという事は、この名前も古期英語起源なのだろうか?謎である・・・
尚、本姓の原義を「大きい泉」とする言説も一部の日本語文献やネット資料に見えるが、上述の通りその様な説明が通用する筈が無い事は
お分かり頂けると思う。
[Reaney(1995)p304, Harrison(1912-1918)vol.2 p.17, ONC(2002)p.409, Arthur(1857)p.192, Lower(1860)p.220, 苅部(2011)p.185,
Sims(2013)p.78]
1 "The Border Magazine: An Illustrated Monthly. vol.33"(1928)p.92
2 "Liber S. Marie de Calchou : registrum cartarum abbacie tironensis de Kelso, 1113-1567. vol.1-2"(1846)p.9
3 ibid. p.109
4 ibid. p.172
5 ibid. p.173
6 ibid. p.174
7 ibid. p.176
8 ibid. p.14
9 ibid. p.304
10 ibid. p.128
11 William Hamilton "Descriptions of the sheriffdoms of Lanark and Renfrew. vol.12"(1831)p.221
12 Cynthia J. Neville, Grant G. Simpson "Regesta Regum Scotorum. vol.1 The Acts of Alexander III King of
Scots 1249 -1286."(2012)p.72
13 ibid. p.78
14 ibid. p.86
15 Alexander Jeffrey "The history and antiquities of Roxburghshire and adjacent districts."(1857)p.178
16 脚注2の文献p.325
17 脚注12の文献p.74
18 脚注2の文献p.382
19 David Mills "A Dictionary of British Place-Names."(2011)p.321
20 英語語源辞典p.1613
21 G. W. S. Barrow "The Charters of King David I: The Written Acts of David I King of Scots, 1124-53 and of his
son Henry Earl of Northumberland, 1139-52."(1999)p.60
22 Alexander Jeffrey "The history and antiquities of Roxburghshire and adjacent districts."(1857)pp.178f.
23 Cynthia J. Neville "Land, Law and People in Medieval Scotland."(2010)p.156
24 Vivian Mayo Bundy "Meet our ancestors, Culbreth, Autry, Maxwell-Bundy, Winslow, Henley, and allied
families."(1978)p.201
25 David E. Thornton "Hey, Mac! The Name Maccus, Tenth to Fifteenth Centuries", Nomina, 20 (1997-98)p.74"
26 Alex Woolf "From Pictland to Alba: 789 - 1070."(2007)p.190の脚注26
27 Searle(1969)p.306
28 ibid. p.469
29 https://classesv2.yale.edu/access/content/user/haw6/Vikings/Maldon.html
更新履歴:
2016年3月31日 初稿アップ
2016年4月5日 最後の段落を少し文章変えました(内容は変わってません)。