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Mantovani マントヴァーニ(伊)
概要
イタリア北部の町「マントヴァ(Mantova)の出身者」の意。町名はエトルリア神Mantus由来説、ニンフのMantō由来説、ケルト*mantu-「小道」由来説等 あるが、定説に至っていない。
詳細
Armannus dictus Mantuanus de Mantua(1281年)1
Johannes dictus Mantovanus(1471年San Vittore(スイス、グラウビュンデン州))2, 3
Joh. f.q. Bertrami de Mantovano(1491年スイス、グラウビュンデン州)2
Ioseph Mantuanus(1532年Messina(シチリア州))4
Julius Mantuanus(1606年スイス、グラウビュンデン州)2
Catharina Mantoani(1631年Soazza(スイス、グラウビュンデン州))2, 3

地名姓。Mantovaniはイタリア全域に見られる有り触れた姓だが、圧倒的に北部に分布の比重が偏っている。特に、ロンバルディーア、 エミーリア=ロマーニャ、ピエモンテ各州全域、ヴェネト州西部に多い。ロンバルディーア州南東部マントヴァ県の県都マントヴァ(Mantova)の名 に形容詞形成接尾辞-ano(<ラ-ānus)が接続して生じた渾名Mantovanoの複数形に由来し、「マントヴァ出身者の子孫、マントヴァ住人の子孫」を 原義とする。同語源の姓にMantoàni、単数形よりMantovàn(o)、Mantuàn(o)、地名そのままからMàntua、(Di) Màntovaがある。

地名はエトルリア語に由来しており、既にエトルリア語の記録に派生形manθvateの形で登場している。以下地名の歴史上の変遷を 列挙する。
az: petru: manθvate(出典ThLE I, 233)5
θa ... felz(n)ei manθvatesa(出典ThLE I, 233)5
Mantua(紀元前39-38年:ウェルギリウス『牧歌(Bucolics)』vol.9, 27)6
Μάντουα(紀元前7年~紀元後23年:ストラボン『地理書(Geographica)』vol.5, chapt.1, 6)6
Mantua Etruscorum(紀元後77年:大プリニウス『博物誌(Naturalis historia)』vol.3, 130)6
de Mantua(1178年)6

地名の語源は明らかでない。プルートーと同一視されていたエトルリアの冥府の主神マントゥス(ラMantus7、エトルリア manθu5)と関係付ける説が、比較的有力である5, 6, 8。この説は、4世紀後半に活躍した イタリア出身の文法学者セルウィウス(Maurus Servius Honoratus)がウェルギリウス(Publius Vergilius Maro)の著作『アエネイス(Aeneid)』10巻 199-200に施した注釈が初出で、かなり古い。以下に、該当部分を引用する。
"Mantuam autem ideo nominatam, quod Etrusca lingua Mantum Ditem patrem appellant, ..."
「エトルリア語で冥府神の事をマントゥスと呼んでいることから、マントヴァはその名を得た。」9
なお、エトルリア神マントゥスはダンテの『神曲(Divina Commedia)』(Inferno, 20)にも登場している。

一方、ウェルギリウス自身は別の語源を採っていた。上記のセルウィウスの注釈が施された箇所に書かれている10。それによれば、マントヴァ市の建設者 オクヌス(Ocnus)の母親であるニンフ(nymphe)のマントー(Mantō)7の名に由来していると伝える。『アエネイス』はウェルギリウス最晩年の 紀元前29-19年の間に書かれているので、マントヴァの語源説としては最も古い起源を持つ。このニンフの名前は明らかにギリシア語である。 彼女は、ギリシア神話に登場するテーバイの予言者テイレシアス(Teiresías、ギΤειρεσίας)の娘マントー(Mantṓ、ギΜαντώ)と 同一視されている(或いは、マントヴァの語源にこじつける為に、オクヌスの母親として彼女をウェルギリウスが引っ張ってきた可能性も考えられる)。 彼女は父親の予言能力を受け継いでいた。それを反映して、彼女の名前も「予言者」を意味するギmántisに由来している。ギmántis「予言者」は 、印欧祖語の動詞語根*men-「考える」(今回同時アップした独姓ミュンヒンガー(Münchinger)のMün-の部分も同源)に接尾辞が付いた形*men-ti-に 遡る(但し、第一音節の母音e→aの変化は異常で、原因が不明)。

最近提出された他の語源解釈も紹介しておく。ケルト語学者のデ・ベルナルド=シュテンペル(Patrizia de Bernardo Stempel)の説である 6。それによれば、語根*men(H)-「踏む(calpestare)」11に由来するケルト語mantu-ā「道の下に ある街(la città sul cammino)」より生じた。大陸ケルトmantalon「道」12が同根。他にも、ブルトンmont「行く」と アイルランドmen-「行く」の対応を挙げているが、同語源のウェールズmyned「行く」,コーンウォールmones「行く」、更には古教会スラヴminąti「(時間が) 経つ」と同様、PIE*mei-「行く、動く」(cogn.英communicate)に遡るとする有力な説がある13。また、ロシアの印欧語学者 ファリリェーイェフ(Alexander I. Falileyev(Александр И Фалилеев))(ケルト語専門)も同様の解釈を採っており、ケルト語の 語幹*manto-,*mantu-「小道、通過(sentiero, percorso)」(<PIE*men-「踏む」)に遡るとしている6

結局のところ、どれが本当の語源かは良く判らない。一番疑わしいのは、二番目に紹介したニンフの名マントー由来説であろう。ウェルギリウスの こじ付けの様にしか見えない。他にも、マントヴァの原義を「覆う」としている日本で出版された本があるが14、 恐らく伊manto「マント、外観」と関係付けた説と思われる。伊mantoはラmantellum「外套」から逆成して生じた後ラmantum「(小さな)外套」 15(スペインの博物学者イシドロスの著作などに見える)に由来している。この「外套」を意味するラテン語語彙は語源が 不明で(ケルト語起源が有力)、原義が「覆う」であった確かな証拠や補強材料が無い。語形が似ているものの、この都市名と関係付ける事は難しいと 思われる(この説を展開している海外の識者は居ないようである)。
[Francipane(2005)p.140f.,Lurati(2000)p.315]
1 Bagola(1988)p.124
2 Huber(1986)p.595
3 Lurati(2000)p.315
4 Dominicus de Gubernatis "Orbis Seraphicus. Historia de Tribus Ordinibus a Seraphico Patriarcha S. FRANCISCO institutis. vol.3"(1684)p.275
5 Pellegrini(1949)p.94f.
6 http://lucio-iuos.blogspot.com/2010/10/toponimi-della-lombardia-di-possibile_18.html
7 Gaffiot(1934)p.947
8 Francipane(2005)p.140f.、Room(2006)p.236等多数。
9 Ditemは非常にマイナーだが、本来のローマ神話の冥府神ディース(Dīs)(研究社羅和辞典p.203)の対格形。
10 http://en.wikisource.org/wiki/Aeneid_(Dryden)/Book_X 『アエネイス(Aeneid)』10巻の英語訳。四分の一辺りの 所に件の記事が見える。
11 Pokorny(1959)p.726
12 この語は単独では文証されていない様である。ポコルニーはPetromantalon「四つ道」とMantalomagus 「道原」という大陸ケルト語の複合語による固有名詞を挙げている(Pokorny(1959)p.726)。
13 Buck(1949)p.694
14 辻原(2005)p.98
15 du Cange(1883-1887)vol.5 p.235

執筆記録:
2011年12月1日  初稿アップ
PIE語根Mantov-an-i:1.語根不詳;2.*-no- 形容詞・名詞形成接尾辞;3.語根未調査

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