Armannus dictus Mantuanus de Mantua(1281年)1 Johannes dictus Mantovanus(1471年San Vittore(スイス、グラウビュンデン州))2, 3 Joh. f.q. Bertrami de Mantovano(1491年スイス、グラウビュンデン州)2 Ioseph Mantuanus(1532年Messina(シチリア州))4 Julius Mantuanus(1606年スイス、グラウビュンデン州)2 Catharina Mantoani(1631年Soazza(スイス、グラウビュンデン州))2, 3
最近提出された他の語源解釈も紹介しておく。ケルト語学者のデ・ベルナルド=シュテンペル(Patrizia de Bernardo Stempel)の説である
6。それによれば、語根*men(H)-「踏む(calpestare)」11に由来するケルト語mantu-ā「道の下に
ある街(la città sul cammino)」より生じた。大陸ケルトmantalon「道」12が同根。他にも、ブルトンmont「行く」と
アイルランドmen-「行く」の対応を挙げているが、同語源のウェールズmyned「行く」,コーンウォールmones「行く」、更には古教会スラヴminąti「(時間が)
経つ」と同様、PIE*mei-「行く、動く」(cogn.英communicate)に遡るとする有力な説がある13。また、ロシアの印欧語学者
ファリリェーイェフ(Alexander I. Falileyev(Александр И Фалилеев))(ケルト語専門)も同様の解釈を採っており、ケルト語の
語幹*manto-,*mantu-「小道、通過(sentiero, percorso)」(<PIE*men-「踏む」)に遡るとしている6。
結局のところ、どれが本当の語源かは良く判らない。一番疑わしいのは、二番目に紹介したニンフの名マントー由来説であろう。ウェルギリウスの
こじ付けの様にしか見えない。他にも、マントヴァの原義を「覆う」としている日本で出版された本があるが14、
恐らく伊manto「マント、外観」と関係付けた説と思われる。伊mantoはラmantellum「外套」から逆成して生じた後ラmantum「(小さな)外套」
15(スペインの博物学者イシドロスの著作などに見える)に由来している。この「外套」を意味するラテン語語彙は語源が
不明で(ケルト語起源が有力)、原義が「覆う」であった確かな証拠や補強材料が無い。語形が似ているものの、この都市名と関係付ける事は難しいと
思われる(この説を展開している海外の識者は居ないようである)。
[Francipane(2005)p.140f.,Lurati(2000)p.315]
1 Bagola(1988)p.124 2 Huber(1986)p.595 3 Lurati(2000)p.315 4 Dominicus de Gubernatis "Orbis Seraphicus. Historia de Tribus Ordinibus a Seraphico Patriarcha
S. FRANCISCO institutis. vol.3"(1684)p.275 5 Pellegrini(1949)p.94f. 6 http://lucio-iuos.blogspot.com/2010/10/toponimi-della-lombardia-di-possibile_18.html 7 Gaffiot(1934)p.947 8 Francipane(2005)p.140f.、Room(2006)p.236等多数。 9 Ditemは非常にマイナーだが、本来のローマ神話の冥府神ディース(Dīs)(研究社羅和辞典p.203)の対格形。 10 http://en.wikisource.org/wiki/Aeneid_(Dryden)/Book_X 『アエネイス(Aeneid)』10巻の英語訳。四分の一辺りの
所に件の記事が見える。 11 Pokorny(1959)p.726 12 この語は単独では文証されていない様である。ポコルニーはPetromantalon「四つ道」とMantalomagus
「道原」という大陸ケルト語の複合語による固有名詞を挙げている(Pokorny(1959)p.726)。 13 Buck(1949)p.694 14 辻原(2005)p.98 15 du Cange(1883-1887)vol.5 p.235
執筆記録:
2011年12月1日 初稿アップ