Fragonard フラゴナール(仏)
概要
①伊姓†Fregonardo、†Fregonardiより。伊≪ミラノ方言≫fregón「麻の粗い布地」+-ardo(動作主名詞接尾辞)より成り、「麻布地職人」の意。
②伊姓Fragonara、Fregonaraより。上記fregón「麻の粗い布地」に由来する地名か職業由来、或いはラfrāga「野イチゴ」に因む地名に由来。
詳細
極めて珍しい姓で、最近の調査(1966~1990年)では10件しか記録が無い。フランスの言語学者モルレ(Marie-Thérèse Morlet)に よればプロヴァンスに分布するとのことだが、今はパリに多い。フランスの画家ジャン・オノレ・フラゴナール(Jean Honoré Fragonard: 1732.4.5 Grasse(アルプ=マリティーム県)~1806.8.22 Paris)の姓として知られるが、彼の家系は元々ロンバルディーア発祥のイタリア系の 一族であった。画家ジャン・オノレの父はフランソワ(François:1699~1781)という。その父、画家の祖父は、画家と同名のジャン・オノレと 言い、1654年生まれで(没年不詳)手袋商人を生業とした。その父、画家の曽祖父はエティエンヌ(Étienne:1606~1696)という。その父、 画家の四代前の先祖がジャン=ピエール・フラゴナール(Jean-Pierre Fragonard:生没年不詳)で、遡り得る最古の人物である 1

以下、フランスの歴史家ノラック(Pierre Girauld de Nolhac) が1918年に出版した画家の伝記から掻い摘んで説明する2, 3。元祖ジャン=ピエールは本来ジャンピエトロ・ フレゴナルド(又はフレゴナルディ)(Gianpietro Fregonardo (Fregonardi))4という名のイタリア人で 、記録によると"(イタリアのロンバルディーア州の)ミラノの大きな村Trugaで生まれた"とある。このTrugaという地名はイタリアには現存せず、 ノラックはBrugaではないかとし2, 5、フランスの歴史家ロザンベルグ(Pierre Rosenberg)はTruyaと書かれているのではないかともしている1 (但し、Truyaもイタリアには現存しない地名である))。私自身が実際の古文書の紙面を見ている訳ではないので、 どの綴りが正しいのか判断できないが、上掲の挙げられた地名の中ではBrugaしかイタリアには存在しない。Brugaはロンバルディーア州 レッコ(Lecco)県に2ヵ所(ヴェンドローニョ(Vendrogno)村モルテローネ(Morterone )村)、同州ベルガモ県に1ヵ所有るが、いずれもかなりの小地名である(特にレッコ県の二ヵ所はGoogle地図にも載っていないレベルである)。こんな 小集落を"ミラノの大きな村"と言うのかどうか疑わしいし、BとTでは字体がまるで異なるし、そもそもいずれもミラノからはかなり距離が有る。 Bruga比定説は疑問の余地が有るだろう。 兎も角も、ジャンピエトロはミラノの近くにあった村から現在のフランス南東部のアルプ=マリティーム県の町グラース(Grasse)に移り住み、1594年10月28日オノラード・ ブリュヌゴン(Honorade Brunegon)6という名前のプロヴァンス娘と結婚したのであった1, 2, 5

ただ、Fregonardo、Fregonardiという人名はノラック以降の画家の伝記にしか見えず、私自身は有り得る他の綴りも含め古い史料からは存在を 確認できなかった。これ等の姓が現在のイタリアにも伝わっておらず、フランスでも極めて稀である事から、恐らくこの画家一族だけが 名乗っていた姓ではないかと思われる。この様な希少姓は古い史料にも載る確率が低いため、自分が調べられる範囲内ではデータが 見つからないだけかも知れないが、ノラックが間違えて転写している可能性も否めない。いずれにしても、Fragonard姓の起源の唯一の 情報がノラックによるものなので、これに乗っ取って話を進める。

Fregonardo、又はFregonardiという姓は今のイタリアには存在しない。ただこれと明らかに関係のある苗字が、画家一族の故地である ロンバルディーア州やピエモンテ州に存する。
●フラゴナーラ(Fragonara):イタリア全国133件のうち104件がロンバルディーア州ミラノ県に分布
●フレゴナーラ(Fregonara):イタリア全国59件のうちピエモンテ州43件。同州内では東端のノヴァーラ県に36件分布。

残念だがFragonara、Fregonara両姓は文献・ネット両方のイタリア人の苗字辞典には掲載されていない。ただ、調べてみたところ、有り得そうな 仮説を唱えられるだけの材料が集まったので、以下に私が考えた二つの試案を提示する。
①職業姓。祖形を†Fregonardo、†Fregonardiに設定する案。伊≪ミラノ方言≫fregón「麻の粗い布地(canovaccio)」7, 8 (恐らく伊fregare「擦る」に由来)に、ゲルマン語起源の男子名の第二要素から転用された動作主派生名詞形成接尾辞-ardoを接続して 生じたと見なす。従って原義は「麻製粗布製造職人、麻布地作り職人」と想定される。ただ、やはりノラック以外では古い記録では全く確認 出来ない形なだけに、不安要素が残る説である。

Girardum Fragonerium notarium, filium condam Michaelis Fragonerii(1279年Novara(ピエモンテ州):公証人)9Girardum Fragonarium notarium filium condam Michaelis Fragoneri(1279年Novara)10Girardus Fragonarius notarius, filius condam Michaelis Fragonarii(1320年Novara)11
Ubertus Fragonerius de Terchate(1347年Novara:司祭)12
Fragonera Felice(1865年Torino:陸軍中隊副官)13

②地名姓、職業姓。祖形をFragonara、Fregonaraに設定する案。これらの姓は上掲の通り、13世紀後半から現在の分布地で記録が有る。 ロンバルディーア州南西部の町パヴィーア(Pavia)の北西4.5㎞の位置にある 小村サンタ・ソフィア(Santa Sofia)の付近に12世紀以降に存した廃地名 Fragonaria14に由来するとみる。
in costa Fragonaria ultra sanctum Sepulcrum(1242年11月23日)15

上掲の記録に現れているsanctum Sepulcrumという名前はパヴィーア市西部に存する 聖ランフランコ(San Lanfranco)教会の旧名である16。この教会の背後から始まるティチーノ川北岸の岸辺を Fragonariaと呼んでいた。又、もう一ヵ所歴史地名で似た名前が見つかる。それはやはりロンバルディーア州におけるもので、クレモナ (Cremona)にある教会で1114年に"Fregoneraと呼ばれている森(bosco)に聖マルティノ(s. Martino)に奉げられた教会が存在した"と 記録されている17。どうもベルガモ(Bergamo)付近に存した教会らしいが、今日では全くその痕跡を留めておらず 17、森の詳しい所在地も不明である。

この二つの廃地名はいずれも同語源であろう。イタリアの地名学者ボセッリ(Pierino Boselli)によると、パヴィーア近郊のこの地名はラfrāga 「野イチゴ」18に由来するのは明白だ(certamente)としている19。地名の後半要素に見える-ariaとか-eraとある部分は、元々 ラテン語の形容詞を作る接尾辞-āria20から発達したもので、地名では「~に関する場所」という意味を表す。ラテン語圏ではこれが植物名に 接続して地名が形成されることが多い。然し、ボセッリの説では地名の中ほどに見える-on-の部分を説明出来ていないので、単純に「野イチゴの藪」を 意味すると決定付けるのは早計であろう。他のロマンス語圏には古仏fregon,fregun,fresgon,fragon「セイヨウヒイラギ (petit houx)」21(>仏fragon「ナギイカダ」)や西≪セファルディム用語≫†fregón「ヘチマ(estropajo)」22といった似た語形の植物名が 存在するが、惜しいかな、これらの同系語や借用語がイタリア北西部で使用されていた記録は見付かっていない。-on-は増大辞とも考えられるので、 「大きな野イチゴの藪」(木が大きいのか、実が大きいのかは判らない)とも言えそうだが、イタリアでは「イチゴ」の意味では方言を含め ラfrāgaの指小形から発達した伊fragola系の語形が用いられる。従って、この地名だけ古典ラテン語の語形を根幹としているのは不自然である。 この地名も、①と結局同根で伊≪ミラノ方言≫fregón「麻の粗い布地」に由来し、「布地製造用の麻を植えた畑、麻布製造所」が 原義の可能性が高い。ロンバルディーアやピエモンテでしかこれらの名が確認されない点も考慮すべきである。

又、地名に由来するのではなく伊≪ミラノ方言≫fregón「麻の粗い布地」に、イタリア語の動作主派生名詞形成接尾辞-aro(←ラ-ārius)が 接続して生じた姓で、やはり①と同じく「麻製粗布製造職人、麻布地作り職人」を意味している蓋然性も高い。この場合、現在の語形が -aという女性形に転じている理由を説明する必要があるが、その理由は判然としない。もしかしたら、この姓を名乗っていた女性が 夫を失ってから産んだ子供に、そのまま自身が名乗っていた女性形の姓を与えたのかも知れないが、今となっては知る由も無い。
以上観察したように、文証の面から存在が実証されているFragonara、Fregonara姓に由来しているのではないかと考える。実際、 画家の先祖の故地ミラノ付近に分布している姓である。これが元祖のジャンピエトロが、グラースに移住した際、姓をフランス語っぽく見せる 為に無声の-dを末尾に加えたという可能性も有ると思う。ただ、このシナリオは飽くまでノラックの示すFregonardoという古綴が 誤りであったという前提に基づく。これが間違っていれば、言い換えればノラックが正しければ①が正解と言う事になる。いずれにしても、 語源的には大差の無い意味である。尚、Fragonard姓を唯一載せるモルレ本には、fragon「小さなイチゴ」に接尾辞が付いて出来た姓で、 「イチゴ栽培農家」を意味するとする23。ラfrāga「野イチゴ」と関係付ける説だが、既に述べたとおりイタリア語に由来する姓であるし、 fragon「小さなイチゴ」なる語も存在が確認されないので、支持し難い。
◆ラfrāga「野イチゴ」←?。語源不明。

確実に同系語と考えられる語はアルバニアdredhë「イチゴ」に限られている。祖形は*dhraĝ-と 考えられ、これがラテン語では帯気音dʰが規則的にfに転じ、アルバニア語では前よりのĝが硬口蓋化した後、古い複数形*dredhとの類推から 第一音節の母音がeに転じたと考えられている24。印欧祖語に*dʰrHĝ-o-を想定する説が有るが24(喉音HはH2を想定している)、 前述の通り対応が二語派しかない為、古い印欧語以外からの放浪語を借用したものと見るのが無難だろう25。但し、ラfrāga「野イチゴ」とアルバニアdredhë「イチゴ」 を結びつける時点で、その祖形は既に印欧語臭くなっている。
1 Pierre Rosenberg "Fragonard."(1988)pp.36f.
2 Pierre de Nolhac "Fragonard, 1732-1806."(1918)pp.5f.
3 Pierre de Nolhac, Francesco Novati "Un'amicizia petrarchesca: carteggio Nolhac-Novati."(1988)p.317
4 脚注3の文献などは、ノラックの著作を引用してこのイタリア姓をFragonardo、又はFregonardiと綴っているが、 前者はFregonardoの誤りである。ノラックの原著ではFragonardoという綴りは出てこない。
5 脚注3の文献p.318
6 ノラックは彼女の姓をブリュヌグ(Brunegou)に作る。脚注1、3の文献ではBrunegonである。どちらが正しいのかは不明。
7 Cletto Arrighi "Dizionario milanese-italiano col repertorio italiano-milanese."(1988)p.260
8 Paola Italia "Glossario di Carlo Emilio Gadda "Milanese": da "La Meccanica" a "L'Adalgisa"."(1998)p.120
9 Maria Franca Baroni "L'Ospedale della Caritā di Novara: il Codice Vetus, documenti dei secoli XII-XIV."(1985)p.70
10 ibid. p.73
11 ibid. p.74
12 Lino Cassani, ‎Gottardo Mellerio "Consignationes beneficiorum diocesis Novariensis factae anno MCCCXLVII tempore Reverendissimi Domini Guglielmi Episcopi."(1937)p.263
13 Demetrio Emilio Diamilla-Muller、Demetrio E. Diamilla-Müller "Politica segreta italiana: (1863-1870)."(1891)p.249
14 http://www.paviafree.it/20130722575/monumenti/chiesa-di-san-lanfranco.html
15 Stefano Maggi, Maria Elena Gorrini "Casteggio e l’antico. 25 anni di studi e ricerche archeologiche in Provincia di Pavia."(2014)p.21
16 元々、エルサレムの 聖墳墓教会(伊Santo Sepolcro)に献堂して建立された教会のため、この名が有った(ラsepulcrumは「墓、墳墓」の意)。後に、当地に 埋葬された聖ランフランコ(Lanfranco Beccari: 1124~1198)に捧げられて改名された。
17 Giovanni Maironi da Ponte "Dizionario odepórico, o sia storico-politico-naturale della Provincia Bergamasca. vol.2"(1820)p.187
18 研究社羅和辞典p.266
19 Pierino Boselli "Toponomastica pavese."(1986)p.220
20 英語語源辞典p.60
21 Godefroy(1880-1895)vol.4 p.134
22 Max Leopold Wagner "Espigueo judeo-español."(1950)p.57
23 Morlet(1997)p.426
24 https://en.wiktionary.org/wiki/dredh%C3%ABz#Albanian
25 https://www.win.tue.nl/~aeb/natlang/ie/alb.html

更新履歴:
2016年3月30日  初稿アップ
PIE語根①Frag-on-ar-d: 1.*ghrēi-「塗る、擦る」; 2.*-e/on- 名詞・形容詞形成接尾辞; 3.*kar-¹「堅い」; 4.*-tu- 抽象名詞形成接尾辞
②Frag-on-ard:1.*ghrēi-「塗る、擦る」 、又は(?)*dhrag-o-「イチゴ」; 2.*-e/on- 名詞・形容詞形成接尾辞; 3.語源不明

Copyright(C)2010~ Malpicos, All rights reserved.