イタリア西端のチェザーナ(Cesana Torinese)村に由来。原義は「Caesius(人名:←ラcaesius「(特に目が)青灰色の」)の土地」。又、ラcaesa「生垣」由来説有り。
Guigone de Seſana(1204年Oulx(伊、ピエモンテ州))
1
Joannes de Seſania(1223年Oulx)
2
Micahele de Ceſana(1341年Vienne(イゼール県))
3
地名姓。フランスの画家ポール・セザンヌ(Paul Cézanne:1839.1.19 Aix-en-Provence(ブーシュ=デュ=ローヌ県)~1906.10.23 同地)の姓。かなり珍しい姓で、
フランス南東部に分布。特にオート=アルプ県に集住し、1891~1915年の統計では全国61件中、同県に38件見ゆ。画家の出身地ブーシュ=デュ=ローヌ県には
同記録では11件見え、第二位。同源異綴の姓にセザナ(
Cesana)があり、フランス南東部のヴァール県に多い。
フランス家系サイトの"Geneanet"によると、画家ポール・セザンヌの父方直系の5代前の先祖は
オノレ(Honoré
Cézanne)という人物で、1624年頃に画家の生誕地と同じブーシュ=デュ=ローヌ県の町エクス=アン=プロヴァンスに生まれたとある。
その父は
クロード(Claude Cézanne)といい1600年頃の生まれで、
仏
Wikipediaによれば、クロードはオート=アルプ県ガップ(Gap)郡アンブラン(Embrun)小郡の村
サン=ソヴール(Saint-Sauveur)の
出身と言う事で、これはエクス=アン=プロヴァンスに残されているオノレの婚姻届に書かれている情報との事である。いずれにしても、アンブラン一帯が
本姓の経由地であるようだ。
アンブランに流れるデュランス川(Durance)を50㎞遡った東側の峠(フランスとイタリアの国境)を越えた場所に
チェザーナ・トリネーゼ
(Cesana Torinese)(発音はForvoの
該当項目で視聴可)というイタリア
北西端ピエモンテ州の小さな村が有り、この地名に由来する地名姓と考えられている。
Sesana(1039/1078年)
4, 5
Sesanna(1057年)
4, 5
ecclesiam ſancti Joannis Baptiſtæ de
Seſana(1065年)
6
Sesanea(1137年)
4
ecclesias de
Sezana(1165年)
4, 5, 7
ut conciliaremus Capellanum
Seſanenſem ... ecclesia
Seſanenſis(1200年頃)
8
Sesania(1225年)
4, 5
de
Sesanna(1412年)
9
la Vallee de
Cezane(1693年)
10
et
Sezana, ... Sauxe de
Cesane(1772年:後者は現
Sauze di Cesana)
11
地名はローマ人の氏族名カエスィウス(Caesius)
12, 13にラテン語の形容詞形成接尾辞-ānumが接続して形成されており
14, 15, 16、原義は「Caesiusの(土地)」を意味する。イタリア語北部諸方言に見られる母音間の-s-が有声音化、/-zia-/→/-zʲa-/→
/-za-/とやはり北部に特徴的な直音化を経て現在の形に至ったと考えられる。古典ラテン語の二重母音/ae̯/(綴字は-ae-)は無アクセント位置では、標準イタリア
語では開口の[ɛ]と閉口の[e]の中間音になる。標準イタリア語での例としては、ラaequālis=伊eguale「等しい」、ラcaelestis=伊celèste「天空の」、ラsaeculāris
「一世紀に一度の」=伊secolare「何世紀にもわたる」等。但し、中世のピエモンテ方言ではどの様な実現になるかは資料が無くて未確認。いずれにしても詳細な
音価は不明だが、日本語の5母音の中では前舌母音eに相当する母音に転じた。この為、語頭の軟口蓋子音[k]が硬口蓋化により調音点が前に移動し、ピエモンテ
方言では結果的に[s]に転じた
17。但し、この[s]への変化が
いつ生じ、いつ完了したのか確認が取れないので(俗ラテン語期には既に[ts]あるいは[ʧ]に転じていたが)、人名Caesius由来説が正しいかどうかは良く解らない。
現在の地名の語頭綴り字C-はフランス語の影響と思われる。既に前舌母音の直前で歯茎摩擦音[s]に転じていたcのフランス語の綴りを真似てC-に
入れ替え(上掲古姓欄の語形の如くに既に14世紀中葉に見られる)、これが後に標準イタリア語の発音に倣って[ʧ]と読まれるようになったのだろう。現在の仏姓の綴りCézanneの最初の母音に鋭アクセント記号が
付されているが、前述のラテン語の例から引くと、仏égal「等しい」、仏céleste「天空の」、仏séculaire「一世紀に一度の」の様に、無アクセントの
ラ-ae-はオイル語(北部フランス語諸方言)では閉口の[e]に転じているので(オック語での実現は未調査)、その閉口性を示す為の印だと考えられる(アクセントがそこにあるという
意味ではない)。従って、伊Cesanaと仏Cézanneは伊仏等価の表記同士であると言える。
Caesiusという人名はラcaesius「(特に目が)青灰色の、緑色がかった」
12, 13を語源としており、「目が青灰色の人」を意味する渾名が
氏族名に転じたものである。又、『Oxford Names Companion』では、ローマ人の男名Caetiusを地名の語源に想定しているが
18、
これを裏付ける様な地名・姓の古形は見当たらず、候補からは除外すべきだろう(しかも、Caetiusは語源が明らかでない素性の不明な名である)。
一方、地名の語源に関しては他にもラcaesa「切り開かれた森(selva tagliata)」(ラcaedere「切る」の過去分詞女性形に由来)の派生語と見る説がある
19。イタリア系スイス人の言語学者ルラーティ(Ottavio Lurati:バーゼル大学教授)はラcaesa「生垣、畑の境界線にある灌木(siepe,
arbusti posti al confine di campo)」に遡る伊≪方言≫cesa,scesaから派生した地名としているが
20、これも同じ単語を拠り
所とした解釈である。
語源となった地名と同綴のチェザーナ(Cesana)という姓はイタリア北部に見られる。特にロンバルディーア州に多く見られ(全国615件中555件)、モンツァ=エ=
ブリアーンツァ(Monza e Brianza)県(295件)、特にカラーテ・ブリアーンツァ(Crate Brianza)というコムーネに集住する(132件)。ピエモンテ州では36件見え、
州で見ればロンバルディーアに続く第二位である。ピエモンテでは、
クーネオ(Cuneo)の南西近郊に集住地が見られる。何故、
今クーネオにCesana姓が分布しているのか良く解らない。もっと北に位置するトリノ(Torino)の方が遥かにチェザーナ・トリネーゼに近く、しかも大都会である。
何か理由が有ると思うが、今となっては判る筈も無い。
セサーナ(Sesana)という姓も見られ、こちらもロンバルディーアに特徴的で(全国192件中181件)、
モンツァ=エ=ブリアーンツァ県の北隣りのレッコ(Lecco)県(88件)に多い。特にアノーネ・ディ・ブリアーンツァ(Anone di Brianza)という
コムーネに集住(15件)。
この内、ロンバルディーア集住のCesana姓は同州レッコ県のコムーネ
チェザーナ・ブリアーンツァ(Cesana Brianza)の地名に由来する地名姓である。
地名の初出は
Sezana(1162年)
21で、やはり語頭がS-で現われている。その後の綴りの変化は資料が見つけられず、不明。
イタリアの言語学者、文献学者の
オリヴィエーリ(Dante Olivieri)は
7世紀に記録されている地名
Ghizanoを本地名に比定しているが、疑問符を付しているので確実ではないようである(原出典を私自身は確認していないので
どの様な問題点が有るかは不明)。又、教会ラテン語では先述の
Sezana以外に
Cissanaの語形も用いられているとのこと
22。オリヴィエーリもこの地名をラテン語の氏族名Caesiusに由来すると見る。
Cesanaという地名はイタリアにもう一ヵ所あり、イタリア北東部ヴェーネト州ベッルーノ(Belluno)県レンティアーイ(Lentiai)村ヴィッラピアーナ(Villapiana)
の小地名
チェザーナ(Cesana)がある。この地名は既に
13世紀前半に姓として記録が有る。
dño Ugulino, Bartholomeo, Vendramino fratribus de Ceſana(1218年Feltre(伊、ヴェーネト州))
23
他にもイタリアにはチェザーノ(Cesano)という地名も数か所見られ、やはり同じ語源と考えられている。
尚、セザンヌ姓をフランス南部エロー県の
コス=エ=ヴェラン(Causses-et-Veyran)村にある小地名ラ・セサヌ
(La Cessane)(詳細な位置不明、この地名は地名辞典には語源不明とある
24, 25)に由来すると見る説
26、
フランス北部のマルヌ県の都市
セザンヌ(Sézanne)に由来すると見る説も有るが
27、いずれも場所が離れすぎていて無関係と見て良い。
又、伊姓Cesanaの語源を、伊≪ブレッシャ方言≫sesana「地平線上の霞(nebbia fitta sull'orizzonte)」(ラcaecus「盲目の、暗い」の派生形*caecanaに由来)に
由来すると見る説も有るが
20、ルラーティによれば上記の地名由来説の方が妥当としている。
[Morlet(1997)p.187, ONC(2002)p.119]
◆ラcaesius「(特に目が)青灰色の」←(?)PIE*(s)kaid-to-(リトアニアskáistas, skaistùs「明るい」)←*(s)kaid-(拡張形)←*(s)kai-「明るい、輝いている」
(古高独heitar「朗らかな」,リトアニアskaidrùs「明るい、綺麗な」,サンスクリットcitrá-「可愛い、華麗な、明るい、斑の」,アヴェスタčiϑra-)
28。
研究社羅和辞典に見えるラcaelum「空」(>英ceiling「天井」)との関係を示唆する説
13は、上掲説の事である。
ラcaelum「空」もPIE*(s)kai-「明るい」と関係づけ*kaid-(s)lo-という接尾辞が接続した形から生じたと見る解釈があるため。
余談になるが、花王の漂白剤『ハイター』は、上掲の古高独heitar「朗らかな、良く晴れた」の後裔の独heiter「朗らかな、良く晴れた」に由来している。
又、動物のチータ(英cheeta(h))の第一要素はサンスクリットcitrá-「斑の」に遡る為、上掲説が全て正しければ、セザンヌとハイターとチータは
語源上関係が有る事になる。
1 Antonius et Berta Rivautella, Francesco Berta "Ulciensis Ecclesiae Chartarium Animadversionibus Illustratum."(1753)p.55
2 ibid. p.42
3 Jean-Pierre Moret de Bourchenu Valbonnais, Fabri, Barrillot, Lancelot, Adamoli, Thiollière "Histoire de Dauphiné et
des princes qui ont porté le nom de dauphins."(1722)p.434
4 Marco Battistoni "Cesana Torinese -
Regione Piemonte."(2006)p.1、2016年5月21日閲覧
5 Adele Falasca, Jason Vella "Piemonte. NO-TO."(2004)p.176
6 脚注1の文献p.26
7 ibid. p.32
8 ibid. p.40
9 Archives départementales des Hautes-Alpes "Inventaire sommaire des Archives départementales antérieures à 1790. vol.2"(1891)p.123
10 Cristoforo Zane, Angelo Calogerà "RACCOLTA D'OPUSCOLI SCIENTIFICI, E FILOLOGICI.: TOMO SECONDO. vol.2"(1729)p.323
11 "Bullarii Romani continuatio, summorum pontificum. vol.5 (Clementis XIV)"(1845)p.484
12 Gaffiot(1934)p.241
13 研究社羅和辞典p.90
14 Ulrico Agnati "Per la storia romana della provincia di Pesaro e Urbino."(1999)p.68
15 Edoardo Vineis "La toponomastica come fonte di conoscenza storica e linguistica: atti del Convegno della Società
italiana di glottologia."(1981)p.24
16 Giovan Battista Pellegrini "Toponomastica italiana: 10000 nomi di città, paesi, frazioni, regioni."(1990)p.326
17 類例はラcentēnārius,centēnī「百の」=伊centenaio「百」=ピエモンテsentena「百」、ラcerebellum「脳」=伊cervèllo「脳」=ピエモンテservel「脳」。
18 ONC(2002)p.119
19 Renzo Ambrogio "Nomi d'Italia: origine e significato dei nomi geografici e di tutti i comuni."(2004)
20 Lurati(2000)p.187
21 Carlo Castagna "IN HOC MONASTERIO QUOD DICITUR CLAVATE."の
脚注232016年5月21日閲覧
22 Dante Olivieri "Dizionario di toponomastica lombarda."(2001)p.71
23 "Storia degli Ecelini di Giambatista Verci. Tomo primo [-terzo]. vol.3"(1779)p.165
24 Frank R. Hamlin, André Cabrol "Les noms de lieux du département de l'Hérault: nouveau dictionnaire topographique et étymologique."
8(71988)p.viii
25 コス=エ=ヴェラン村の西隣に
セスノン(Cessenon-sur-Orb)
村があり、この村名と関係が有ろう。本稿では直接関係の無い問題なので、これ以上この地名に関しては踏み込まない。
26 Morlet(1997)p.187
27 Jean Tosti『仏姓語源辞典』Cézanne項、2016年5月21日閲覧
28 Pokorny(1959)pp.916f.、Walde(1910)p.110、Buck(1949)p.53
更新履歴:
2016年5月27日 初稿アップ