Buxárin ブハーリン(露)((露)Буха́рин、(英式転写)Bukharin)
概要
①ウズベキスタンの都市名ブハラ(Buxrá)に由来。地名はサンスクリットvihāra「僧院」のウイグル=モンゴル語借用形buqarに由来か。
②露≪北部方言≫buxára「(ミツバチ、マルハナバチ等の)人を刺す虫」に由来。
③露≪ヴャートカ方言≫buxará「嘘つき」に由来。
④アラビアfuqarāʾ≪複数形≫「貧乏人、(イスラムの)托鉢修道僧」に由来する可能性あり。
⑤露≪方言≫buxára「耕地の向こう側にある休閑地、森の中の草刈り場」由来説が有るが、疑わしい。
⑥露≪方言≫buxára「低質な麻屑」に由来する可能性あり。
詳細
Išuk Buxarin (Ишук Бухарин)(1540年、ノヴゴロド公国シェロン行政区1:書記2) 3
Ivan Buxarin (Иван Бухарин)(1547、1549、1553年、場所不明:書記)4
Nikonko Buxorin (Никонко Бухорин)(1563年Tolbuja(カレリア共和国メドヴェジエゴルスク))4
Mikita Buxarin (Микита Бухарин)(1684年Šúja(イヴァノヴォ州))4

ロシアの革命家、ソ連の政治家ニコライ・イヴァノヴィチ・ブハーリン(Nikoláj Ivánovič Buxárin(露Никола́й Ива́нович Буха́рин): 1888.10.9 Moskvá~1938.3.15 同地)の姓。語源に関して、複数の説が提出されている。ひとまず、渾名・個人名としての用例を挙げておく。
Timofej Grigorĭevič Buxara Naumov (Тимофй Григорьевич Бухара Наумов)(1495年、場所不明)5, 6
Boris Jakovlevič Buxara Xvostov (Борис Яковлевич Бухара Хвостов)(1550年、場所不明)5


①地名姓。最も人口に膾炙している説。バスカコフによって提唱されたもので、中央アジアのウズベキスタン中部ブハラ州の州都ブハラ(Buxará)の名に直接 由来するか、或は当市を首都として16世紀初頭から20世紀初頭までかつて存在した歴代イスラム教諸王朝ブハラ・ハーン国に因む。この都市・国家の出身者・ 関係者を表した渾名に因むものと考えられる。

中国語による地名の音転写記録が残っており、以下に挙げておく。
副貨國(554年:『魏書』列伝第九十西域)7
捕喝國(646年:『大唐西域記』巻第十二(唐、玄奘))8
布豁(1060年:『新唐書』巻238 列伝第146下 西域下)9
捕喝建(1060年:『新唐書』巻238 列伝第146下 西域下)9
蒲花羅(1225年頃:『諸蕃志』)10
不合児/卜哈児(13世紀:『聖武親征録』)11
蒲華(1369年:『元史』列伝第三十七 耶律阿海伝)12
不花剌(1369年:『元史』列伝第九 哈散納伝)13
孛哈里(1369年:『元史』列伝第七 察罕伝)14
唐代文献資料では、入声(ニッショウ)音-tで-r音を転写している15

マルコ・ポーロの『東方見聞録』にもこの地名が見え、版によってbacarchbaccharabocaraboccarabocharabochorabotharabucarabuccarabucharabucharraといった様々な形が用いられているそうだ 16

地名の語源についてはWikipediaウズベキ語版によると、中世の間中国語の様々な資料でAn, Ansi, Ango, Buxo, Buku, Buxe, Buxaer, Buxuaer, Buxala, Buxuala, Fuxo, Puxualaとローマ字アルファベットに転写される表記が用いられているそうである。最初の三つの名は中国語による命名「安国」の事で、ブハラの名とは無関係だが、 残りのものはブハラの中国語音転写である。中世のアラビア語文献ではブハラ市の事を、Numijkat、Navmichkat、Bumichkat(以上三つは「新しい砦」の意)17; AlMadina assufriyya(「銅の町」の意);Madinat attujjor(「商人の町」の意);Foxira(「栄光の(町)」の意)と呼んでいる。ブハラの名の語源はサンスクリットvixoraの テュルク語化形buxor「僧院」に由来するとされる説が提案されている。また、最近の研究では印欧語イラン語派のソグド語のbug, bag「神」とoro「美しい」の二語から 形成されたとする解釈も出ている18

最初の「僧院」とする説は最も広く知られている説である。Wikipediaウズベキ語版ではvixoraになっているが、正確にはサンスクリットvihāra(विहार)「僧院」19である。 この語はモニエ・ウィリアムズのサンスクリット辞典によると、「分配、(語句の)入れ替え、準備、放浪、休養所、喜びの地(pleasure-ground)、僧院」等の 意味が挙げられている20。このvihāraという僧院は元々、放浪僧が雨季の間居住したり避難するのに用いられていた、竹葺き屋根の単純な構造の木造建築 だったらしい21(然し、いつの時代の事かは不明)。原義は「人里離れた場所」と考えられている。仏教用語で「精舎(ショウジャ)」と呼ばれるもの は、このvihāraに他ならない(尚、インド北東部のビハール州(Bihār)の名はこのサンスクリットvihāra「僧院、寺院」に由来している20)。

この「僧院」由来説に関して、更に詳細な情報が有ったので以下に抄訳して記す([]内は引用者マルピコスによる補記)。
"[ブハラの]名はサンスクリットvihāra「(仏教徒の)僧院」から派生したと思われる*Buḫārから生じたと想定されている。この語はウイグル語やモンゴル語でbuqarという 形で現在も使用されているのだが、ブハラで使用されていたはずのソグド語ではvarḫārの形であった。vihāraがbuqārに変化する類例はサンスクリットviṣaṇa> bušan、サンスクリットŚrīvijaya>Šrībuǰai等の例が見られる。ところが、初期のウイグル語文献ではvrḫār、viḫārの語形が用いられており、buqarの形が現れるのは、 明代のウイグル語語彙集によってである。これは恐らくモンゴル語からの借用に違いない。vihāraの語はイラン語圏では主にNaubihār又はNōbihār(<*Navavihāra 「新しい僧院」)という語の中に用いられており、これは後にNōbahārと読まれるようになり、「新しい泉」或は単に「泉」の意と解釈されるようになった。[中略] Naubihārの名はシンド地方、サマルカンド、ブハラ、テヘラン市東部のRay地区に見られる。[中国語文献中の語形が列挙されているので、中略]これらの "Buqar"[の形]を支持する中国語形は、西洋ではカタルーニャ語の地図にBocar(マルコ・ポーロの記述とは無関係)、メディチ家の地図にBochar、スペインは ラ・リオハ州の村クラビホ(Clavijo)における地図ではBoyar(yはjに対応しボハルと読む)の形に対応している。これらの明や元といった中国の記録や西洋の記録から、 当市の中世のウイグル=モンゴル語の語形はBuḫārāではなくBuqarであったのは疑いなく、玄奘の残した記録からも7世紀に既にこの名が用いられていた事を示している。 オルホン文字[古代トルコで8世紀に用いられた文字]資料では、ブハラの事をBuqaraqと記しており、同様の関係はSoγd「ソグド」に対する彼らの表記Soγdaqにも 見られる。1076年のカーシュガリー(Kāšγarī)が残した記録では地名をBuḫārāと記している。"16

一方、米コロンビア大学のイラン学センターが経営している、イランの歴史・文化に関する学術的で信頼度の高いWeb百科事典『イラン百科事典(Encyclopædia Iranica)』によれば、この「僧院」説は語源としては可能性が低い(less likely)としている。『イラン百科事典』によれば、地名が古トルコBuqaraqで表記されて いる点を指摘して、ソグド語の文証されていない語彙*βuxārak「幸運をもたらす土地(fortunate place)」に由来するという説を並列して挙げている。更に、 年代不詳のソグド語の写本にソグド文字でブハラの事がpwxʾrと綴られている旨の指摘もしている(ソースはHenning, 1940, pp.8-9とある)。また、 ブハラで作られた貨幣の表に、ササン朝ペルシアのバハラーム5世(Bahrām V:在位420~438年)の王冠を模倣した冠を戴く右を向いた支配者の胸像が鋳込まれた ものがあり、この事実はバハラーム5世の治世よりも後に貨幣が作られたのは確実であるものの、その用いられた絶対年が明らかに出来ない点で正確な年代が知られないが、 初期製造分の貨幣にβwγʾr γwβ ʾšδʾδʾの銘が有り、「ブハラの王アシュダード(Ašδāδ)」の意とされる。更にこの後代の王があしらわれた貨幣には、 βwγʾr γwβ kʾwʾ(又はkʾnʾ)の銘が鋳込まれており、これは「ブハラの王にして英雄」(又は、「ブハラの王Kā¦nā¦(人名)」)と釈されるとしている 22

『イラン百科事典』の説で興味深いのは、その原義を「幸運をもたらす土地(fortunate place)」としている部分で、これは先にも述べたモニエ=ウィリアムズの サンスクリット辞典が挙げているvihāraの語義の一つ「喜びの地(pleasure-ground)」と無関係とは思えない程似ている。結局、この説も同じサンスクリットの語彙vihāraに 遡る解釈なのではないか?。恐らく、『イラン百科事典』の説は古トルコBuqaraqの形が最も祖形を残す形と見、この語末子音-qが脱落して代償延長を 起こしてBuhārāとなったものと考えているのかもしれない。だが、-aqは古トルコ語の何らかの接尾辞と考えられるので、これを含む形を基にするのは 賛成できない。やはり、「僧院」由来説が一日の長が有ると言えるだろう。vihāraからBuhārāに変化する上で一番問題となるのは、第一音節の母音がi>uと なっている点だが、上掲の類例で見られる様にこの変化が唇音bの直後に起きているのがヒントになるかもしれない。私の考えでは、まず唇歯摩擦音vが 唇音bに転じてから、その唇音性の影響がiに与えられ、母音が円唇音化したのではないかと思っている。但し、これが歴史的観点から見てウイグル=モンゴル語で 一般的な事なのかどうか、アジアの言語は専門外の為私には解らない。

また、「僧院」説も借用元と想定されるテュルク語(ウイグル語)の該当語彙の語形が明代以降にしか見られないなど矛盾点が有り、手放しに信じることは出来ない。 一方Wikipediaウズベキ語版が最近の説として挙げるソグド語で「美しい神」を原義とする説も、正しいかどうか証拠や情報が少なすぎて判断の仕様が無い。 取り敢えず、従来通り地名の原義は「僧院」とする立場を取っておく事にする。尚、ブハーリン姓の語源をブハラ市の名に求める説は、フェドシュクによれば 一般的ではないとしている。
[Nikonov(1993)p.22,Kjuršunova(2010)p.76f.,Baskakov(1979)p.175,Gruško et Medvedev(2000)p.80]

②ニックネーム姓。露≪北部方言≫buxára(буха́ра)「(ミツバチ、マルハナバチ等の)人を刺す虫」23(アクセント注意!)に由来する渾名・個人名より。 昆虫の名が渾名・個人名に用いられ、更に姓と化した例はコマロフ(蚊)、フルシチョフ(コガネムシの一種)、ムラヴィヨフ(蟻)、ムーヒン(蠅)等、 良く見られるので説得力が有る。本語は英beeと同根でPIE*bhei-「蜜蜂」(ラfūcus「雄蜜蜂」,露pčelá「蜜蜂」)に遡る語かもしれない(私マルピコスの勝手な憶測)。
[Fedosjuk(2004)p.43]

③ニックネーム姓。露≪ヴャートカ方言≫buxará(бухара́)「嘘つき」24(露≪ヴャートカ方言≫buxarit'(бухарить)「嘘をつく」の無接尾辞派生名詞)に 由来する渾名・個人名より。キュルシュノヴァが提唱する説。
[Kjuršunova(2010)p.76f.]

④ニックネーム姓。バスカコフが①とは別に提示する説で、アラビアfugarāʾ「貧乏人」に由来するとするものがある。このアラビア語単語はアラビアfaqīr(فقير) 「貧乏人、(イスラムの)托鉢修道僧」(←語根f-q-r(ف ق ر)「貧しい」)の複数形fuqarāʾ(فقراء)の事と思われる25。然し、語頭子音が合わないのと複数形が渾名になるものなのか 怪しい点が有るので、いかがなものか。
[Kjuršunova(2010)p.76f.]

⑤ヴェセロフスキーは露≪方言≫buxára(буха́ра)「耕地の向こう側にある休閑地、森の中の草刈り場」26に由来するとする説を挙げている。然し、キュルシュノヴァは 有り得ないとして否定している。確かに姓の語末に見える-in接尾辞(女性名詞タイプの個人名の所属形容詞を作る機能が有る)から個人名から生じたのは 疑い無いため、この様な語義の単語が起源とは考えにくい。
[Veselovskij(1974)p.58,Kjuršunova(2010)p.76f.,Gruško et Medvedev(2000)p.80]

⑥ニックネーム姓。これもヴェセロフスキーによる説。露≪方言≫buxára(буха́ра)「低質な麻屑」26に由来するという。 ⑤と同様、キュルシュノヴァに否定されている。
[Veselovskij(1974)p.58,Kjuršunova(2010)p.76f.]
◆サンスクリットvihāra「分配、(語句の)入れ替え、準備、放浪、休養所、僧院」←vi(वि)≪副詞≫「離れて、向こうへ、真っ二つに、外に」,≪前置詞≫「~を通して、~の間に」 (←PIE*wi-「離れて、向こうへ」:cogn.英with「~と一緒に」)+hāra(हार)「運ぶこと、運搬、搬出、盗み」←(?)hárati≪3単現≫「取る、運ぶ、運搬する」← PIE*gher-「摑む、囲む」(ギkhrē̂ma「物」,オスクheriiad≪3単現≫「取る」)27。hāra「運搬」とhárati「取る、運ぶ」を結び付けている辞書が無く、上掲説は 私マルピコスによる。若しくは、hāraはPIE*gher-「摑む」の延長階梯*ghēr-に遡るかもしれない。意味や形の上からPIE*gher-「摑む」に遡るのは間違いないと思う。 これが正しいなら、英garden「庭」,露górod「都市」と同根という事になる。
1 http://ru.wikipedia.org/wiki/%D0%A8%D0%B5%D0%BB%D0%BE%D0%BD%D1%81%D0%BA%D0%B0%D1%8F_%D0%BF%D1%8F%D1%82%D0%B8%D0%BD%D0%B0
2 書記(露дьяк):14~15世紀ロシアの国家機関で責任ある地位を占めた官吏(研究社「露和辞典」p.535)。
3 Tupikov(2005)p.170
4 Kjuršunova(2010)p.76f.
5 Veselovskij(1974)p.58
6 脚注3の文献p.97
7 http://www.angelibrary.com/oldies/ws/108.htm
8 http://zh.wikipedia.org/wiki/%E6%8D%95%E5%96%9D
9 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%8F%E3%83%A9
10 http://toyoshi.lit.nagoya-u.ac.jp/maruha/kanseki/zhufanzhi2.html
11 http://www.angelibrary.com/oldies/yuanshi/150.htm
12 村上 正二『モンゴル秘史』
13 http://www.guoxue.com/shibu/24shi/yuanshi/yuas_122.htm
14 http://www.zwbk.org/MyLemmaShow.aspx?zh=zh-tw&lid=154963
15 この表記法は「閼伽(アカ:本来はアツカの慣用読み)」(<サンスクリットargha「価値」)、「涅槃(ネハン:本来はネチハンの慣用読み)」(<サンスクリットNirvāṇa)、 「達磨(ダルマ)」(<サンスクリットdharma「法」)、「乾闥婆(ケンダツバ)」(<サンスクリットgandharva)、「突厥(トッケツ)」(<古トルコTürk)等にも見られる。 朝鮮語に於ける中国語借用語の入声-tも-l(或は-r)で採用されており(例えば朝鮮괄호(gwarho)「括弧」)、この時期の中国語の入声-tが流音の様な音に変化してたのではないかと思うが、 中国語の歴史言語学には私は疎いので良く解らない。
16 国立情報学研究所 - ディジタル・シルクロード・プロジェクト 『東洋文庫所蔵』貴重書デジタルアーカイブ"Notes on Marco Polo : vol.1."p.108f. http://dsr.nii.ac.jp/toyobunko/III-2-F-c-104/V-1/page-hr/0125.html.ja
17 ブハラ市の中国語における文献上の初出は、5世紀の忸蜜(『北史』(643~659年頃の上梓)北魏(386-534)の部分に見られる)であるが、この忸蜜こそがアラビア語名 Numijkatの音訳である。
18 http://uz.wikipedia.org/wiki/Buxoro
19 http://en.wiktionary.org/wiki/%E0%A4%B5%E0%A4%BF%E0%A4%B9%E0%A4%BE%E0%A4%B0#Sanskrit
20 Monier-Williams(1898)p.1003、http://sanskrit.inria.fr/MW/246.html
21 http://en.wikipedia.org/wiki/Vihara
22 http://www.iranicaonline.org/articles/bukhara-i
23 http://www.proza.ru/2013/09/30/1845、Fedosjuk(2004)p.43
24 "Slovar' russkix narodnyx govorov."(1966-2006)vol.2 p.319
25 http://en.wiktionary.org/wiki/%D9%81%D9%82%D9%8A%D8%B1#Arabic
26 http://dal.sci-lib.com/word002382.html
27 http://sanskrit.inria.fr/MW/313.html#haara、Pokorny(1959)p.442f.

執筆記録:
2014年1月22日  初稿アップ
2014年1月28日  修正・加筆
PIE語根①Bu-xár-in: 1.*wi-「離れて、向こうへ」; 2.*gher-¹「摑む、囲む」; 3.*-no- 形容詞・名詞形成接尾辞
②Bu-xár-in:1.(?)*bhei-¹「蜜蜂」;2.不明; 3.*-no- 形容詞・名詞形成接尾辞

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