グルメ
概要
①ゴール・ロマン系の男名Balatius,Balacius,Bal(l)itius,Bellicius等に由来するフランス各地の地名より。
②古仏baussant「白黒の斑のある」と語源上関係があるとされる、タルン県のバルサ(Bals(s)a)姓を改姓。
詳細
Theobaldus de Balazaco (1273年Angoulême)1
Robertus de Balsaco (1469年Riomartin(オート=ロワール県、サン=ジェロン村))2
Antonius de Balsaco (1474年ドローム県:司教)3
①地名姓。集住地が特に無く、所々にまだらに分布している姓。中でも、ノルマンディーのセーヌ=マリティム県、南仏リオン湾に面すエロー
県、西仏アキテーヌのロット=エ=ガロンヌ県に比較的多いが、殆ど脈絡の無い分布の仕方をしている。語源上関係するバルサック(Balsac)姓も、
ロット=エ=ガロンヌ県と仏中西部のアンドル=エ=ロワール県に比較的多く、こちらも特に特徴のある分布ではない。以下の地名に由来すると
考えられる。尚、後述するように作家バルザックの姓は別語源。
●バルザック(Balzac)(仏西部ポワトー=シャラント地方/シャラント県/アングレーム(Angourême)郡/ゴン=ポントゥーヴル(Gond-Pontouvre)
小郡/バルザック村)
de Balazaco (1209年)4
ad Balzacum (1634年)5
ネグルは人名Valaesiusの異形であるローマの個人名Balaesiusに由来する解釈を取っている4 。ホルダー
(Alfred Holder)とタルベール(Jean Talbert)はケルト語起源の個人名Balatosから派生したゴール人の個人名Balatiusに由来する*Balatiacum
(原義「Balatiusの地所」)由来説を採る6, 7 。又、ヴィアル(Éric Vial)は、人名Ballitius由来説を採っている
8 。
●バルザック(Balzac)(仏中部オーヴェルニュ地方/オート=ロワール県/ブリウド(Brioude)郡/ブリウド小郡/サン=ジェロン(Saint-Géron)村)
In Balziaco (1010年頃)9
Balsac (1291年)9
Balssac (1587年)9
●バルザック(Balzac)(仏中部オーヴェルニュ地方/オート=ロワール県/ピュイ=アン=ヴレー(Puy-en-Velay)郡/ソーグ(Saugues)小郡/
サン=ヴェネラン(Saint-Vénérand)村/マオシュ(Mahoche)付近)
Balzac (1780年)9
●バルサック(Balsac)(仏南部ミディ=ピレネー地方/アヴェロン県/ロデ(Rodez)郡/マルシヤック(Marcillac)小郡/バルサック村)
ministerium Balciacense (918年)10
de Balciago (996-1031年)10
ネグルは人名Bellicius由来説を採る10 。ホルダーは人名*Balisiusに由来する所領地名*Balisiacusか、或いは
人名Balitiusに由来する所領地名*Balitiacusに遡るとしている7 。
●バリザック(Balizac)(仏西部アキテーヌ地方/ジロンド県/バザ(Bazas)郡/サン=サンフォリアン(Saint Symphorien)小郡/バリザック村)
Ballasiaci (839年)10
ネグルは人名Balacius由来説を採る10 。ホルダーは人名Balatiusに由来を採る7 。
●バズラ(Bazelat)(仏中部リムーザン地方/クルーズ県ゲレ(Guéret)郡/スーテルレヌ(Souterraine)小郡/バズラ村)
Balazac (1257年)7
ホルダーは人名Balatius由来説を採る7 。
●バラゼ(Balazé)(仏西部ブルターニュ地方/イル=エ=ヴィレーヌ県/フジェール=ヴィトレ(Fougères-Vitré)/郡ヴィトレ=エスト(Vitré-Est)
小郡のバラゼ村)
ホルダーは人名Balatius由来説を採る7 。
上に、原義を示さなかった地名も、恐らくBalatiusとかBalitius、Balaciusといった人名に由来しているのであろう。但し、これらの
男子名はかなりマニアックなものらしく、人名事典などではその存在を確認できない。
ラテン語は語頭にb-が来る事は例外的な場合に限られているので、上掲に挙げた名前の多くはケルト語に由来していると考えられるが、
語源が良く判らない。素人目にはPIE*bhel-「輝いている、白い」と関係が有りそうに見えるが、素人ゆえの悲しさかな・・・、どの様な派生
経過・音韻変化を経ているのか説明出来ないので、何とも言えない。唯一確実そうな事が言えるのは、アヴェロン県のBalsac地名の語源として
ネグルが挙げる人名Belliciusで、恐らくラbellicus「戦いの、好戦的な」11 (<ラbellum「戦争」<duellum)に遡ると思われる(マルピコス説)。
又、ネグルがシャラント県のバルザック地名の語源とする人名ValaesiusはPIE*wal-「強い」と関連するかもしれないが、やはり
派生メカニズムの詳細を説明できないので、全く自信が無い。或いは、②に挙げるラ*balteus「白と黒の斑の馬」、balteus「ベルト、帯」から派生した
人名が起源の場合もあるかもしれない。
[Morlet(1997)p.72,Tibón(1988)p.32]
Jean-Pierre Balsa (1660年Rodez(アヴェロン県))12
Gabriel Balssa (1666年Montirat(タルン県))13
Louis Balssa de Palleporc (1666年Montirat)13
Charles Balssa (1683年Montirat)13
Guillaume Balsa de Gamarus (1754年Rodez:議員)14
②ニックネーム姓。小説家のバルザックの姓の語源は、又別の系統に属している。
フランスの小説家オノレ・ド=バルザック(Honoré de Balzac)は1799年5月20日、フランス中北西部の町トゥール(Tours)で生まれた。
出生時の本名はHonoré Balzac。父ベルナール=フランソワ(Bernard-François B.)と、母アン=シャルロット=ロール(Anne-Charlotte-Laure(
旧姓サランビェ(Sallambier)))の子。父ベルナール=フランソワは1746年7月22日の午前6時にフランス南部のタルン県アルビ(Albi)郡モンティラ(Montirat)小郡
ヌゲリイェ(Nougayrié)村に耕作人のべルナールの11人の子の最長子として生まれ、出生時の本姓はバルサ(Balssa)であった。1766年彼は、
マリアンヌ・ムイシュー(Marianne Mouychoux)という若い娘を身籠らせてしまった咎で、故郷から離れモンティラ小郡のラガルド=ヴィオール
(Lagarde-Viaur)にある刑務所に投獄された。後、1771年トゥールーズでモルヴィル侯ベルトラン(Antoine François Bertrand de Molleville)
の秘書を務めた。彼は、1773年から1783年の間パリでバルザック(Balzac)の姓を名乗った。ティボン(Gutierre Tibón)によれば、
この改姓は1597年にシャラント県アングレーム郡の村バルザック(Balzac)で生まれ、17世紀に活躍した有名な散文作家ジャン・ルイ・ゲ=ド=バルザック(Jean Louis Guez
de Balzac)の名を参考に、自分の姓を改変したものらしい15 。
バルサという姓はタルン県特有の姓で、1891-1915年の
調査では全国118人のバルサさんのうち、104人がこの県に住んでいた(何と、88%余りが当地に集中していることになる)。現在は仏南部を
主に全国的に分布が広まってしまっているが、相変わらずタルン県が分布一位である。現在の県内の最多分布地は、アルビ郡カルモー
(Carmaux)小郡の町カルモー(人口10268人(2007年))の10件、次いで同郡の首都市アルビ(人口48847人(2008年))の5件、次いで同郡
パンプロンヌ(Pampelonne)小郡ミランドル=ブルニュナク(Mirandol-Bourgnounac)村(人口1065人(2007年))の4件(割合としては、この
最後の村が一番高い(約0.003755%))。
Balssaはあまり古い記録が無い姓で、その起源もはっきりしない。トスティ(Jean Tosti)のウェブ仏姓語源辞典Balzac項によれば、
Balssa姓はバルサン(Balsan)、バルザン(Balzan)姓と共に、ラ*balteus「白と黒の斑の馬(un cheval tacheté de blanc et de noir)」に
由来する可能性を指摘している16 。但し、この語はラテン語の辞典には見えず(ガフィオ(Gaffiot(1934))、
研究社羅和辞典、wiktionary等に無し)、古仏baucent,ba(u)ssant,bauzan「斑の、(牛・馬などに)白黒のぶちのある」17 の
語源とされている18 。実際、北部フランスでは、この古仏語に由来するボーサン(Baussan(t))という姓が実在し、
又、モルレによればその南フランス語の対応する姓に既出のBalsan、Balzan姓を挙げている19 。
一方、ジェルマン(Jean Germain)のベルギーのワロン地方苗字辞典にBalsaの姓を立項し、Jan Balsa (1561年Namur)の古形を挙げる
20 。そこでは、ヘントの996年のBalduinus dictus Baldzo という人名の記録を根拠として、ゲルマン
*balþaz「勇敢な」(英bold)に由来する男名起源説を採用している。然し、タルン県のBalssa姓との関係は認められないので、偶然形が
似ただけだと思われる。
又、『The Oxford Names Companion』は疑問符付きながらも一風変わった説を提案している21 。それによると、
バスク語で「黒いもの(the black one)」を意味する渾名baltsaに由来し、仏南部に多く見られる-ac地名との連想から姓の語形を改めたもの
という。地名由来説を採用していないこの解釈は、作家の先祖がBalssa姓を名乗っていた史実をある程度知っていて、それを考慮して
案出されたものだろう。確かにバスクbeltz「黒い」22 という語は存在するが、母音と末尾の歯茎破擦音が
合致していない。バスク語の綴り字tzは日本語の"ツ"の子音と同じ舌端音の無声歯茎破擦音[ts]だが、逆に綴り字tsは舌尖音の無声歯茎破擦音
[ʦ̺]を表し、両者はバスク語に於いては音素として厳密に区別されていて、弁別性を持っている(つまり、ネイティブは両者を聞き
分けている)。又、バスク語にはbaltsaの語も存在するが、「魚の列(fish bank)」「雪解け(slush, skushy snow)、泥(mud)」「会社、会合(
company, meeting)」「筏(raft)」23 の意である。恐らく、ONCは両者を混同しているのではないだろうか。
英Wikipediaの「バスク語」項に西暦1000-2000年に掛けてのバスク語圏の範囲の推移を示すアニメーションが掲載されているが、
それを見る限りではタルン県がバスク語圏に入ったことは無く(バスク語との関連が取り沙汰されている古イベリア語が紀元前に当地で話されていた
かもしれないが)、Balssa姓をバスク語起源とする説は、南仏の俗ラテン語の後裔であるオック語を起源と見るトスティの説よりも
有効であるとは言いがたい。どの説にしても確実な証左は無いものの、今の所トスティの説以上にもっともらしい解釈は無いようで、私も
この意見に従うのが良いと思う。
[Tosti(1997~)Ba-Banguillot項,ONC(2002)p.44]
◆古仏baucent,ba(u)ssant,bauzan「白と黒の斑の馬」←俗ラ*balteānu(m)「縞模様のある、筋のある」(原義「帯状の模様がある」)←ラbalteus
「帯、ベルト」←?24 。語源不明。英belt「ベルト」の語源。タルンのBals(s)a姓の語形は、俗ラ*balteānu(m)から
生じたオック語の形から接尾辞を取って逆生したものとも考えられる。cf.ボードリエ(Baudrier)
1 http://www.histoirepassion.eu/spip.php?article243
2 Société des archives historiques de la Gironde "Archives historiques du département de la Gironde. vol.25"(1887)p.31
原典にRivomartino(当時の綴り)の領主とあるが、これは仏中南部のオート=ロワール県ブリウド(Brioude)
郡ブリウド小郡サン=ジェロン(Saint-Géron)村にある地名リオマルタン(Riomartin)の古形。
3 Jean-Barthélemy Hauréau "Gallia christiana: in provincias ecclesiaticas distributa."(1865)sp.218、及びAcadémie delphinale
"Documents inédits rélatifs au Dauphiné. vol.2"(1868)p.38より引用。原典の人物説明では
"episcopus Diensis et Valentinus"とあり、どっかの司教であるらしい。形容詞形になっている地名Diensisは何処の地名かよく
判らない。物の本によれば、かつては仏南東部ドローム県のVoconcesの首都であったという(Gregorio de Tours "Histoire des Francs.
vol.2"(1862)p.366)。Voconces自体が古形で、これはドローム県の南隣のヴォークリューズ県カルパントラ(Carpentras)郡の地名
ヴェゾン(Vaison-la-Romaine)に比定されている。又、Valentinusとあるのは、ドローム県の県都ヴァランス(Valence)の事と思われる。
取り合えず、ドローム県の記録としておく。この司教は1491年11月3日に亡くなった。
4 Nègre(1990)p.481
5 Irena Dorota Backus "Life writing in Reformation Europe: lives of reformers by friends, disciples
and foes."(2008)p.205
6 http://charente.angouleme.free.fr/angouleme/angouleme/balzac/index.html
7 Holder(1962)p.325-326
8 Vial(1983)p.127
9 Société de la Diana(2003)p.15
10 Nègre(1990)p.459
11 研究社羅和辞典p.77
12 Louis Bertrand "Bibliothèque sulpicienne, ou, Histoire littéraire de la Compagnie de Saint-Sulpice.
XVIIe et XVIIIe slècles."(1900)p.155
13 La Revue de Paris - 1923g01 (A30,T1) à 1923g02.
14 Henri Affre "Inventaire sommaire des Archives départementales antérieures à 1790: Aveyron."
(1878)p.68
15 Tibón(1988)p.32
16 http://jeantosti.com/noms/b1.htm
17 Godefroy(1880-1902)vol.1 p.602、英語語源辞典p.106
18 英belt「ベルト」の語源となったラbalteus「帯、ベルト」という語は辞書にある。
19 Morlet(1997)p.86
20 Germain(2007)p.145
21 ONC(2002)p.44
22 http://en.wiktionary.org/wiki/beltz、http://www1.euskadi.net/morris/resultado.asp
23 http://www1.euskadi.net/morris/resultado.asp
24 英語語源辞典p.106、ランダムハウス英和大辞典p.231
執筆記録:
2011年9月2日 初稿アップ
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