Ingelram de Balfour(1229年)
1
William de Balfure(1304年)
2
Michael de Balfoure=
Michael de Balfwre(1395年Kyrknes)
3
地名姓。スコットランド全域に見られるが、ファイフ州に多い。特に同州カーコーディ(Kirkcaldy)に集住。
スコットランド、ファイフ州マーキンチ(Markinch)行政教区のバルフォア(Balfour)という地名に由来する(スコットランド=ゲール語形
Baile Phùir
4)。地名の歴史上の変化は以下の通り。
Ardbany・Duffindir・
Balfoyer(1189年)
5
et Ardbany et Doffyndre et
Balfur(1189年)
5
Duffindir・et Ardbanin et
Baleful(1217年)
6
Balfouris(1568年)
7
第一要素はスコットランド=ゲールbail(e)「村、町」
8なのは自明であるが、第二要素に関しては嘗ては
スコットランド=ゲールfuar「寒い、冷たい」
9に由来して、地名全体が「寒村」を意味すると考えられていた。
然し、この説には重大な欠陥があった。もし後半要素にf-で始まる単語が来た場合、緩音化(aspiration)によりその語頭子音は[v]を経て
弱化し、消失しているはずであった(例えば地名Dùn Fhothair(スコットランド=ゲール語表記)は英語表記による音転写では、第二要素の
語頭子音が失われた形を反映するDunottar。Fh-という表記は本来のF-がこの現象により変音していることを示す)。
この説明では、f-が何の弱化作用も受けずにそのままの形で現れており、ゲール語の正常な音韻変化に対して矛盾を孕んでいた。
これに初めて異論を唱えたのが、ダブリン出身のアイルランド人のケルト語学者ストークス(Whitley Stokes:1830-1909)である。
彼は、-fourという後半要素は、今日は失われてしまったピクト人の言葉に由来し、ウェールズpawr,ブルトンpeur「牧草地」
10と語源上関係が有ると考えた。語頭にp-を持つ単語が第二要素となる場合、スコットランド=ゲール語では
この緩音化現象により問題の子音が弱化して閉鎖性を失い摩擦音[f]に転じた。こうして、Balfourという地名の語形にある程度の説明が
与えることが出来る訳で、従って地名の原義は「牧草地の村」とする説が現在有力視されている。尚、本来この地名・姓のアクセントは
最後の音節に存在したが、名が英語化したことで第一音節にアクセントが移動した。
所で、ONCはBalfour項で第二要素をスコットランド=ゲールpòr(属格pùir)「牧場、草地」
11に由来するとして
いるが、これには少し説明を補足したい。スコットランド=ゲール語には確かにpòr(属格pòir)という単語は有るが、語義は「種、子(seed,
offspring)」
12であり、「牧草地」の意味は無い。但し、この「種」を意味するゲール語の語彙自体も、ウェールズ
pawr「牧草地」の借用と考えられており
13、或いはpòrに嘗ては「牧草地」の意が存在した可能性はある。音韻上は、スコットランド=ゲールmòr
「大きい」(cf.英claymore原義「大きい剣」),ウェールズmawr「大きい」,ブルトンmeur「大きい」(<ケルト*mōro-「大きい」)の様な並行する事例が
あるので、或いはゲールpòr「種」やウェールズpawr「牧草地」は共に島嶼ケルト祖語に遡る語彙であるかもしれない。一説には、更にウェールズ
pawr,ブルトンpeurも、ラpābulum「飼料、牧草、糧」
14から派生したとされる中ラ*pāburum(文献上の記録は
無い)を借用したものとする説がある
10。又、マクベインはスコットランド=ゲールpòr「種」は英spour「胞子」
,ギspor

の借用説を提示している
15。
他にも、スコットランドには-fourを第二要素に持つ地名が数箇所存在する(いずれもかなりの小地名らしく、詳しい所在地を割り出すのには
時間が掛かり面倒な為、また論旨に直接関わらないので、位置は割愛)。以下に挙げる。スコットランド=ゲール語表記は
サイトや文献を参照したものだが、表記の仕様が一律ではないので注意。
●Dochfour(スコットランド=ゲール語表記Dabhach Phùir)
●Trinafour(スコットランド=ゲール語表記Trian-a-phùir)
●Delfour(スコットランド=ゲール語表記Dail a' Phùir)
et ter. de
Dallefour, cum octava parte dicte ville de
Dallefoure, ...de Linkwoddis et
Dallefour
(1569年)
15
Dallafower(1590年)
16
●Pennyfuir(スコットランド=ゲール語表記Peighinn a' Phùir)
●Tirfoure(スコットランド=ゲール語表記Tìr a' Phùir)
これらの地名と共に、スコットランド=ゲール語表記では第二要素がPhùirと有るように、語根母音がuになっている。Balfour地名の
古形にも-u-を持つ形が多い。pòrという形の属格形はマクラウドが示すようにpòirで(ONCの属格形pùirは誤り)、地名のゲール語表記や
古形と乖離している点が気になる。然し、ストークスの説以外にもっともらしい解釈も無いので、疑問符つきで彼の説に今の所従うことに
する(何か目ぼしい解釈が思いついたり見つけたら、今後紹介したい)。
[Reaney(1995)p.25,Harrison(1912-1918)p.18,Black(1946)p.46,ONC(2002)p.43]
◆ラpābulum「飼料」(西,カタルーニャ,葡pábulo「食料」,ルーマニアplaur「朽ちた草や葦・流木等でできた浮島」)←PIE*pā-dhlo-m(道具名を
形成する接尾辞*-tro-の異形+中性名詞主格語尾)←*pā-「守る、養う」(英food「食べ物」,古教会スラヴpišta「食べ物」,サンスクリット,
アヴェスタpitu-「食べ物、飲料」)。cf.パストーレ(Pastore)
1 John Burke "A genealogical and heraldic history of the commoners of Great Britain and Ireland.
vol.3"(1838)p.134
2 Reaney(1995)p.25
3 Black(1946)p.46
4 http://en.wikipedia.org/wiki/Balfour,_Aberdeenshire
5 Inchaffray Abbey,Cosmo Innes "Liber Insule missarum: abbacie canonicorum regularium B. Virginis
et S. Johannis de Inchaffery registrum vetus."(1847)p.7
6 ibed. p.14
7 Johnston(1903)p.28
8 Macleod(1831)p.48
9 ibed. p.307
10 Buck(1949)p.146, p.148
11 ONCは語形をpórとしているが、スコットランド=ゲール語の長音記号はアクサン=グラーヴで表記するので、誤植と見なし訂正した。
厄介なことに、スコットランド=ゲール語と方言の関係にあるアイルランド語では長音記号をアクサン=テギュで表現する為、
これらを混同して表記がごっちゃになっている文献も多く(私も知らずに過去の記事で混用してるので、修正せねば
ならないが、放置状態になってしまっている)、ONCも同じ轍を踏んでしまったのだろう。
12 Macleod(1831)p.456
13 https://listserv.heanet.ie/cgi-bin/wa?A3=ind0306&L=OLD-IRISH-L&E=quoted-printable&P=219842&B=--
&T=text%2Fplain;%20charset=ISO-8859-1
14 研究社羅和辞典p.447
15 http://www.ceantar.org/Dicts/MB2/mb29.html
15 William Kirk Dickson, James Balfour Paul "Registrum magni sigilli regum Scotorum: The register of
the Great Seal of Scotland. vol.4"(1886)p.479
16 George Burnett "Rotuli scaccarii regum scotorum: The Exchequer rolls of Scotland. vol.22"(1903)
p.438, p.611
17 英語語源辞典p.1020、Watkins(2000)p.61、Pokorny(1959)p.787、Buck(1949)p.329、
http://en.wiktionary.org/wiki/pabulum
執筆記録:
2011年9月2日 初稿アップ