Astaire アステア(米)
概要
チェコnový「新しい」+チェコsídlo「居場所」より形成された、チェコの地名アウステルリッツ(Austerlitz)に由来。
詳細
frater Andreas de Nowosedlicz(1294年Brno)1
Peregrinus de Naussadlicz(1383年Praha)2
Jacobus de Nausadlicz(1403年Praha)3
Joannes de Nausadlicz(1405年Praha)4Joan. de Naussedlicz(1413年Praha)5
Volfg. de Osterlicz(1507年ポーランド)6
Samuel Austerlicz(1720年ポーランド)7

地名姓。ドイツ系ユダヤ人の姓の米英語転訛形。米国の俳優、ダンサー、歌手のフレッド・アステア(Fred Astaire:1899.5.10 Omaha(ネブラスカ州) ~1987.6.22 Los angeles(カリフォルニア州))の姓。本名はフレデリク・オスターリッツ(Frederick Austerlitz)といい、Astaire姓はAusterlitz姓の 略形である。父親のフリードリヒ・エマヌエル・アウステルリッツ(Friedrich Emanuel Austerlitz)は1868年9月8日オーストリアのリンツ(Linz)で 生まれ、醸造業者として働いた。渡米した理由は確認できなかった。フリードリヒ・エマヌエルの父ザロモン・シュテファン(Salomon Stefan A.)は 1833年チェコの首都プラハ(Praha)に生まれた8。ザロモン・シュテファンは1862年にチェコ南部のプルゼニに移り、 そこで8歳年下のLucia Heller(Postelberg出身)という女性と結婚、更に家族はオーストリアのリンツに1866年移住した9。 ザロモン・シュテファンの父ジーモン・ユダ(Simon Juda A.)は1797年5月2日、同じくプラハに生まれた。

ガロファーロ(Alessandra Garofalo)のアステア家の歴史に関する著作には次の様にある10
"ジーモン・ユダは28才の時、嫡子ではないにもかかわらず、恐らく他の兄弟がプラハから去った事から、Carlsberg出身のEster Porgesという女性と 結婚する為に「結婚権(copulation consensum)」11を獲得し、1825年8月10日結婚した。その後彼女の家族もプラハに移り、 新郎新婦は同市のユダヤ人ゲットーのNo.103家屋に住み着いた。Ester Porgesは1804年生まれで、1859年に浮腫(Hydrops)により亡くなっている。"

同書によると、ジーモン・ユダの両親は父ユダ・ヤーコプ(Juda Jacob A.)と母スロヴァ(Slowa A.)で、二人は1787年8月14日に結婚した。この 結婚の記録がアステア家の遡り得る最古の記録であるとしている。上掲に挙げた古いAusterlitz姓の人物達と、この家族とは何の関係も無い 赤の他人であろう。

アウステルリッツ(Austerlitz)という姓は、チェコ共和国東部、南モラビア州ヴィシュコフ市郡にある小都市スラフコフ・ウ・ブルナ(Slavkov u Brna :ブルノ市の東にある)のドイツ語名Austerlitzに由来している。ナポレオン戦争の最大の激戦の一つアウステルリッツの戦い(1805年12月2日)が 行われた土地である。この地名は大変面白い変化を辿っているので、以下に綴りの変遷を詳しく見ていこう。

de Naw Zedlice(1243年)12
de Navzedlice(1243年)12
Nuzedliz(1243年)12
Nouzelicz(1248年)12
in Nowhelih(1248年)12
Nawsedlitz(1258年)12
de Nuo Sedlicz(1282年)12
Nouosedlicz(1288年)12
Jacobi et beate Marie parochialis in Naussedlicz Olomucensis(1323年)12, 13
alii mechanici forum in Neusserlicz(1343年)12, 14
de Nauzedlicz(1365年)12
Jurati de Nausedlicz(1365年)15
de Naussadlicz(1383年)12
prope Nausedlicz(1399年)12
Nausadlicz(1404年)12, 16
Item Wenczeslao civi in Nausterlicz(1405年)17
Nausterlitz(1460年頃)18
Huldaricus baro a Kauniz in Austerlicz(1593年:人名)19
Austerlitz(1633年)16

原義は「新しい居住地、新村」20である。第一要素は中部独≪上部ザクセン方言≫nau「新しい」21 、或いは同じく印欧祖語*néwos「新しい」に遡るチェコnový「新しい」22の短語尾形か語幹に由来している。第二要素は、 良く知られたポーランド語起源のドイツ姓ザイドリッツ(Seydlitz)と同語源のチェコsídlo「滞在地、居場所」23に由来する。 この語は異論もあるが露seló「村」と同語源と思われる。語末-itz、-iczは指小辞。地名の最初期の綴りは、第一要素がNaw-やNav-等、ドイツ語の 様相を呈している。元々チェコ語で*Novo Sedliceという名前だったのを、第一要素*Novo「新しい」だけドイツ語訳したのかもしれない。

次に、地名の音韻変化について説明する。最初の変化は、「居住地」を意味する後半要素の子音クラスター-dl-が-rl-に子音弱化 したことである(1343年)。後に母音間で無声音を保っていたと思われる-s-が、強い子音-ss-に変わり、更に異化を経て-st-に転じた (1400年頃)。更に16世紀頃の事であろうが、語頭のN-が前置詞inの一部と誤解され取り除かれてしまい(異分析)、ここから現名に至った。 即ち、アステア(Astaire)姓の最初のA-は英語のnew「新しい」と、-staireは英語のsit「座る」と同語源なのである。これはもう、地名の古い綴りを 見ない限り想像もつかない事であろう(この様な目茶苦茶な変化を辿るのもかなり珍しい)。他の資料も渉猟したところ、正確な年代は 判明していないが、EusserliczAusserlitz等の形が確認される20。現名のスラフコフの方が後に 現れた名前で、1403年に現名と同じ綴りのSlavkovで初出12。恐らく「誉ちゃん」を意味する個人名*Slavekの所有形容詞に 由来する地名だろう。

尚、アウステルリッツの地名の由来を、ドイツ語でAu(川辺の、草地の)+Sterlitz(シュトレリッツ公)とする説があるが24 、上記の地名の変遷と全く噛み合っておらず、誤りである事は疑いない。恐らく現在の語形から付会して解釈してしまったのだろう。
[ONC(2002)p.36]
1 Antonín Boček "Codex diplomaticus et epistolaris Moraviae. vol.5(1294-1306)"(1850)p.5
2 "Monumenta historica Universitatis Carolo-Ferdinandeae Pragensis. vol.2"(1834)p.37
3 "Monumenta historica Universitatis Carolo-Ferdinandeae Pragensis. vol.1 part.1"(1830)p.376
4 ibid. p.384
5 ibid. p.423
6 Polska Akademja Umietjętności "Zabytki z dziejów, oświaty i sztuk pięknych. vol.1"(1849)p.146
7 Towarzystwo Miłośników Historii w Warszawie "Przegląd historyczny. vol.75"(1984)p.68
8 http://www.geni.com/people/Salomon-Austerlitz/6000000007368701860
9 Alessandra Garofalo "Austerliz Sounded Too Much Like a Battle. The Roots of Fred Astaire Family ." (2009)p.26-31
10 ibid. p.23-24
11 ibid. p.20 ラテン語名Copulatio Consensum、ドイツ語名Familianten(gesetz)。ボヘミアにおけるユダヤ人家族の増加を制限する目的で、 神聖ローマ皇帝カール6世(在位:1711~1740年)によって1726年に公布・施行された。各ユダヤ人家族の長男のみに結婚が許され、他の兄弟は 自らの所帯を希望する場合、別の場所に移住せねばならなかった。1859年廃止。「結婚権」は私による訳語で、我が国の専門家の間では どの様な訳語が使われているかは関知していない。
12 Hosák et Šrámek(1980)p.460
13 Antonín Boček, Josef Chytil, Peter Ritter von Chlumecký "Codex diplomaticus et epistolaris Moraviae. vol.6(1307-1333)"(1854)p.191
14 Antonín Boček, Josef Chytil, Peter Ritter von Chlumecký "Codex diplomaticus et epistolaris Moraviae. vol.8(1350-1355)"(1874)p.272
15 "Codex juris Bohemici:vol.2 part.3. Jus terrae atque jus curiae regiae saeculi XIV-mi."(1889)p.192
16 Univerzita Karlova. Katedra českého jazyka "Čeština doma a ve světě."(1995)
17 Josef Hemmerle "Die Deutschordens-Ballei Böhmen in ihren Rechnungsbüchern 1382-1411."(1967)p.126
18 Königlich-Böhmische Gesellschaft der Wissenschaften "Abhandlungen der Königlichen Böhmischen Gesellschaft der Wissenschaften. "(1833)p.188
19 Univerzita J.E. Purkyně v Brně "Brünner Beiträge zur Germanistik und Nordistik. vol.152"(1970)p.190
20 http://www.radio.cz/de/rubrik/forum/honduras-und-juetland-auch-dort-wird-radio-prag-gehoert
21 Franke(1884)p.28 この語はドイツ中部地域の姓ナウマン(Naumann)や地名ナウムブルク(Naumburg)等の第一要素に現れている。フランケ(Carl Gottlob Franke )によれば、1472年や1499年のザクセン地方の古文書にnauの語が用いられているとのこと。
22 http://en.wiktionary.org/wiki/nov%C3%BD
23 Černych(1993)vol.2 p.152
24 蟻川明男『世界地名語源辞典』第三版(2003)p.3

執筆記録:
2012年5月10日  初稿アップ
2014年12月20日  間違えて異分析を過剰修正と書いていたので、修正した
PIE語根A-staire: 1.*newo-「新しい」; 2.*sed-1「座る」

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